花輪理事長の独り言
自治体が実施している5がん検診の受診率が全国平均を下回っている埼玉県で、秩父病院理事長の花輪峰夫氏は秩父地域のがん検診受診率の向上と進行がん撲滅を掲げ、啓発に力を入れている。活動の背景や内容について話を聞いた。(2023年1月19日オンラインインタビュー、計3回連載の3回目)
――「進行がんの撲滅」を掲げて活動を始めた背景を教えてください。
外科医として50年診療してきた中で非常に残念だと感じているのは、進行がんの多さです。当院では年間、大腸がん手術を約40件、胃がん手術を約20件行っていますが、このうち7割程度が進行がんです。初期のがんは痛みがないどころか、何も自覚症状がないことがほとんどで、自覚症状が出る頃にはすでに進行しています。
がんは早期治療することができれば、生存率が大幅に上がります。検査技術も向上しており、がんの早期発見による進行がんの撲滅は医学的に考えても、夢の話ではありません。
しかし、大きな問題の一つは、がん検診の受診率が低いことです。がん検診受診率の向上は全国的な課題ですが、埼玉県の5がん検診の受診率は全がん種で全国平均を下回っています(2019年国民生活基礎調査)。2020年度の市町村別がん検診受診率によると秩父地域では皆野町、小鹿野町、横瀬町が県平均を上回っている一方で、秩父市と長瀞町では多くのがん種で県平均を下回っている状況です。
特に秩父市の大腸がん検診受診率は県内最低で、わずか3%です。全国で最も罹患数が多いがんは大腸がんで、死亡数は女性で1位(2019年全国がん登録罹患データ、2021年人口動態統計がん死亡データ)。埼玉県でも同様の傾向です。大腸がん検診に用いられる便潜血検査はコストも低く、方法も簡単です。40歳以上の全住民を対象に年1回便潜血検査を行うことがかなえば、死亡数の減少に貢献できるでしょう。
がんは2人に1人が罹患するといわれている疾患です。COVID-19の感染拡大には日本中が恐怖を抱きましたが、死亡率で考えれば、がんはその比ではありません。まずは医師や医療従事者に進行がんに対する危機感と、がんを早期発見することの重要性を強く感じてほしいと強く思っています。ちなみに、日本のがん検診の受診率はアメリカ、イギリスが約80%であるのに対し、40%です。
――がん検診の方法についても問題点を指摘されていますね。
がん検診の目的はがんの早期発見と死亡率減少ですが、国が推奨している検診方法は、早期がんを見つけるための最新のエビデンスを用いているとは言いがたいのが実情です。
肺がんを見つけるにはCT検査が優れていますが、検診の方法は何十年も変わらずに胸部X線検査が推奨されています。CT検査を検診で取り入れるとなると、コストや医療設備の面で課題があるのかもしれませんが、胸のX線写真一枚で早期がんを見つけるのは、相当な難しさがあるといえます。
胃がん検診の方法は、胃部X線検査か、胃内視鏡検査です。胃部X線検査で早期がんを見つけるのは至難の業でしょう。一方、胃内視鏡検査は精度も画像の質も高く、細胞をとることもできます。胃内視鏡検査に絞れば、早期がんを発見できる確率は上がるのではないでしょうか。
胃がんの原因の一つがピロリ菌感染であることは明確に分かっています。胃がんリスク検診(ABC検診)でリスク分けを行った上でリスクのある人を対象に内視鏡検査を実施すれば、効率的な検診になるのではないでしょうか。ABC検診の導入については当院の臨床研究として実施し、自治体や医師会に提案を行った過去がありますが、残念ながら実現には至りませんでした。
新たに有効な検診方法が出てきたとしても、明確なエビデンスを出すには何十年という年月が必要なことは少なくありません。その間、医学の進歩を検診に生かさずにいていいのか。非常にもどかしさを感じています。国は「科学的根拠に基づくがん検診の指針」を策定し、市町村に検診を推進させています。私にはどうしても科学的根拠とは思えません。
――進行がんの撲滅に向けてどのような活動をしていますか。
当院の坂井謙一院長は現在秩父郡市医師会の理事を務めているため、2022年に医師会の理事会で検診方法の再検討を議題に上げてもらいました。2023年中に医師会で講演会を行い、理解を求めたいと考えています。年内には医師会で内容をとりまとめ、秩父地域の自治体や議会への提言につなげてほしいですね。まずは秩父市に「がん検診の改善と受診率の向上」を提言すべく、現在多くの賛同者を募っています。提言の内容としては具体的に、がん検診の改善に向け、(1)胃がん検診の ABC 検診への変更(2)大腸がん検診(便潜血検査)の特定健康診査・健康診査への追加(3)便潜血検査キット配布施設の増設(管内医療機関、調剤薬局、公民館など)(4)便潜血検査のための市予算増額――を盛り込む予定です。受診率の向上を目的としては、秩父市や秩父市立病院への専門部署設置、市の広報・秩父FMラジオの活用、医師・保健師・がん経験者による講演実施などを要望したいと考えています。
状況の改善を目指し、まずは秩父地域から、「がんは早く見つければまず死なない」という認識を市民、町民に広めていきたい。がん検診の受診率を上げるために、医師、自治体、住民全てでがんに対する意識を高めることが必要です。また、早期発見のためにはがん検診の精度が高いとはいえず、検診方法を検討する必要があることについても説いていこうと、ブログやFacebookでの発信にも力を入れています。
――取り組みへの意気込みを教えてください。
医師になってから50年たち、一つの節目として2022年3月に秩父病院の院長を退任し、理事長として病院経営に専念することにしました。そうはいっても、半世紀の医師人生に区切りをつけるのは気持ちの上でも難しいと感じたため、同年4月より東海道五十三次のひとり歩き旅に出ました。いわば、医者の卒業旅行です。
当初は医師を引退後、余暇を楽しむつもりでいましたが、埼玉県の地域医療を守る会と進行がん撲滅の取り組みは、医師としてやり残した宿題だと感じています。どちらも県内での活動にとどまらず、厚労省にも訴えていきたいです。実を結ぶまでは時間がかかると思いますが、少しずつ前に進めていきたいと思っています。秩父が発端となり、この取り組みが厚労省に届き、全国に医学の進化に即応した「科学的根拠に基づいたがん検診」が広まること、そして国民がCOVID-19以上に、がんに危機感を持ち、受診率が向上することを願っています。
県西部に位置する秩父病院は、秩父市、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町の1市4町からなる秩父地域の医療で中核的な役割を果たしている。医師不足が深刻な中、地域医療は何を目指していくのか、地域医療を担う人材をどのように育てていけばよいのか、同院理事長の花輪峰夫氏に話を聞いた。(2023年1月19日オンラインインタビュー、計3回連載の2回目)
――医師不足地域として目指すべき地域医療の姿を教えてください。
秩父地域は埼玉県の面積のおよそ4分の1を占める一方で、人口は10万人弱程度です。20年ほど前までは、地域の病院や診療所が連携して秩父全体で総合病院化することを目標に掲げていました。当院も開放型病院として、開業医の医師が当院の手術室スタッフとともに手術を行うといった取り組みを実施してきました。
ところが医師不足により病院が減少し、現在、秩父地域の産科医療機関は1施設、二次救急医療機関は3施設のみ。三次救急医療機関はありません。さらに医療の専門化・細分化が進んだことで、秩父で地域完結医療を目指すのは残念ながら現実的ではなくなりました。
県では2018年、脳梗塞患者をいち早く治療につなげるために、埼玉県急性期脳卒中治療ネットワーク(Saitama Stroke Network:SSN)の運用をスタートしました。意識障害など脳梗塞の疑いがある場合、救急要請を受けた救急隊は急性期脳梗塞治療が可能な病院に直接搬送を行っています。従来は救急要請を受けた場所の近隣病院に運んでから専門病院に搬送するプロセスをとっていました。秩父地域に対応可能な医療機関はないため、専門病院へスムーズに搬送できるようになったことは、患者に大きなメリットがあります。最近では、埼玉県大動脈緊急症治療ネットワークも構築しています。
秩父地域には心筋梗塞の専門治療を行うことのできる医療機関もないため、心筋梗塞についてもSSNと同様のシステムが必要です。これについても県知事に要望をしました。
医学の進歩に従って地方の医療機関では対応が難しいケースが増えており、医療の集約化・効率化は受け入れていかなければなりません。秩父病院を2011年に建て替えた際には、このような理由から患者を早期に専門病院へ運べるよう、ヘリポートを併設しています。地域でできる限りの治療は行うことに変わりはありませんが、患者が享受する医療に地域格差が生じないよう、専門病院へスムーズに搬送できるシステムの整備に注力する必要があります。
――医療の専門化・細分化が進む中で、地域医療を担う人材育成についてはどのように考えていますか。
現在の医師臨床研修制度では、医師免許を取得した後、2年間の初期研修を実施、後期研修では3年間、基本領域の専門医資格取得を目指し、その後サブスペシャルティー領域の専門医を取得するにはさらに3年間が必要です。医療の専門化・細分化により、救うことのできる患者が増えたことは言うまでもなく、否定するつもりはありませんが、「臓器をみて人をみず」という医師を増やすきっかけにもなってしまうのではないかと危機感を抱いています。地域医療の現場では、専門領域外であっても患者への対応が求められるため、幅広い領域の知識や技術の習得が求められます。
そこで当院で地域医療を担える医師を育てるべく、吉田松陰の松下村塾になぞらえ、2015年より花仁(かじん)塾を開塾しました。若手医師に対する「医者としての教育」は地域病院の役割だと思っています。
――花仁塾での取り組み内容を教えてください。
秩父病院で初期研修を行った医師を年に2回ほど集めて、私を含めて当院のスタッフが講義を行ったり、懇親会を開いてバーベキューをしたりして交流を深めています。
入塾の資格は、「志のある人」。初期研修の際に花仁塾の説明と勧誘を行っており、全ての研修医が加入しているわけではありませんが、現在は114人が登録しています。
キャリアプランや医局の内情、これからの人生など若手医師に悩みはつきものですから、どのような相談にも乗るようにしているほか、当院や秩父郡市医師会の症例検討会にも参加を促しています。
また、腹腔鏡下手術の普及により開腹手術や縫合の経験がない外科医が増えていることにも危うさを感じており、手術中に急きょ開腹が必要となった症例にも対応できるよう、教育に力を入れています。
花仁塾はコミュニケーションを重視しているためオンラインで実施するわけにもいかず、COVID-19が流行してからは中断が続いていますが、近いうちに再開したいと考えています。2022年3月に院長を退任して臨床から手を引いたので、どのようにして若手医師への教育機会を確保するか、検討しているところです。
地域医療に魅力を感じてもらい、担い手となる医師を育成することが花仁塾の目的ですが、地域医療という枠を超えても、総合的な医療知識・技術を身につけることは医師として重要です。例えば飛行機に乗っていて、「お客さまの中にお医者さまはいらっしゃいますか」と呼びかけがあったときに手を挙げる医師はどれほどいるでしょうか。自身の専門分野の知識や経験を深めるあまり、基本的な処置を忘れてしまっている医師は少なくありません。専門領域外の医療を求められたときにも自信をもって手を挙げ、臓器だけでなく全身、そして人をみることのできる医師に、被災地や戦地など医療機器が使えない中でも命を救うことができる医師に育ってほしいですね。
県内の医師不足地域で勤務する医師を中心に結成された「埼玉県の地域医療を守る会」が2022年11月、医師育成奨学金の免除指定病院に民間医療機関を追加することを求めて大野元裕県知事に要望書を提出した。同会の取り組みや発足の背景について、代表を務める花輪峰夫氏(秩父病院理事長)に話を聞いた。(2023年1月19日オンラインインタビュー、計3回連載の1回目)
――「埼玉県の地域医療を守る会」を発足するきっかけとなった出来事を教えてください。
埼玉県には、県内出身の医学生や指定大学の医学生を対象に埼玉県医師育成奨学金を貸与する制度があります。同制度では医師国家試験に合格後、通常は9年間、県内で医師不足が顕著だとして定められている特定地域の公的医療機関や特定の診療科(産科、小児科、救命救急センター)で勤務すれば奨学金の返還が免除されます。
なぜ公的医療機関に限定しているのか。疑問に思い、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行前の2019年、秩父郡市の有識者が集まり定期開催しているちちぶ医療協議会で埼玉県医療人材課の担当者に質問したところ、後日、書面回答が届きました。回答では、同制度の原資が県民の税金で賄われていることや、公的医療機関は地域医療の中核的機能を果たしており、不採算医療を担っていることが理由だと記載されていました。
これには到底、納得できませんでした。民間医療機関であっても不採算医療である救急医療や若手医師の教育、COVID-19の対応など、地域医療の中核的機能を積極的に担っているところは少なくないはずです。医師不足地域の民間医療機関では特に、医師確保が喫緊の課題です。確保できなければ診療科や診療時間の縮小、最悪の場合は閉院という選択を取らざるを得ません。埼玉県は10万人あたりの医師数が全国で最も少なく、県内のおよそ半分の地域で医師が不足していることからも、大きな問題だと感じました。
COVID-19の影響で数年間動きがとれていませんでしたが、2022年6月、県知事に直接掛け合おうと県の保健医療部を訪問しました。要望を伝えるには、医師会など何らかの団体を通す必要があるとの返答があったため、同志を増やすことを決意しました。
若い医師の教育・研修を担っている施設や地域医療に貢献していると自負している施設であれば、要望に賛同してもらえるのではないかと思い、1日あたり約3人、医師不足特定地域で救急医療を担っている民間病院を中心に、およそ10日間で35施設へ電話をしました。結果、全ての施設で賛同を得ています。
丸木雄一埼玉県医師会副会長や県議会議員の先生方にも賛同いただき、同年11月、提言の場にこぎつけることができました。
こうした流れで「埼玉県の地域医療を守る会」を設立しました。2023年3月までは私が暫定的に代表を務め、その後賛同いただいた先生方と相談して、会の正式な名称や代表者を決める予定です。
――具体的にはどのような提言を行ったのでしょうか。
具体的には、民間医療機関であっても、(1)協力型臨床研修病院である(2)日本専門医機構が指定する19領域の学会専門医修練施設の関連病院または協力病院である(3)救急告示病院である(4)一定数以上の分娩実施施設(診療所を含む、知事が指定した施設)である(5)その他、知事が指定した病院である――の5つの要件のうち1つでも満たせば奨学金免除指定病院とすることを要望しています。また、特定地域は将来的に生活圏や医療機能分担を配慮して決めるよう求めました。
奨学金制度の目的は、医師不足地域・診療科の医師を確保することです。公的医療機関と民間医療機関が共に地域医療を支えていく中で、実態にそぐわない不平等は撤廃してほしいと強く思っています。
――卒業後の勤務が公的医療機関に限られることは、民間医療機関の経営としての問題だけでなく、現場の医師にとっても弊害となりそうです。
埼玉県以外では、原則公的医療機関としつつ特例を設けて民間医療機関での勤務を認めている都道府県もあります。若い医師の成長を考える上でも、選択肢を広げるべきでしょう。
また、奨学金の返済が免除された後も地域に定着してもらうためには、若い医師のモチベーションを保つことが大切です。専門医取得が可能な環境や指導体制の整備が求められます。
――守る会の会員の内訳を教えてください。
賛同いただいた医師からの紹介などもあり、現在は46の医療機関が会員となりました。内訳は、特定地域のうち熊谷・深谷・寄居地域から11施設、行田・加須・羽生地域から3施設、秩父・小鹿野・皆野・長瀞・横瀬地域から7施設、東松山・嵐山・小川・川島・滑川地域から5施設、本庄・美里・上川・上里地域から9施設、久喜・蓮田、・幸手・白岡・宮代・杉戸地域から3施設。そのほか特定地域以外で8施設です。産科医院や療養型病院も一部含まれています。
県知事への提言という第一の目的は達成しており、会員増に向けて積極的な取り組みを継続しているわけではありませんが、仲間を増やしていけるよう呼びかけを行っています。
――現在はどのような活動をしていますか。
2022年12月には自民党県議団にも要望書を提出しました。啓発を目的として、Facebookや秩父病院のWebサイトに設置しているブログでも情報発信しています。
県議会の議題に上げてもらうために、やれることはやったつもりです。しばらくは経過を待ちたいと思います。埼玉県医師育成奨学金制度で公的医療機関と民間医療機関に不平等が設けられている問題が審議され、条例の改正に結びつくことを願っています。
公的医療機関と民間医療機関の不平等は、埼玉県のみの問題ではありません。自治医科大学では授業料返済免除の条件として、義務年限の期間、出身都道府県の知事が指定する医師不足地域などの医療機関で勤務することが求められていますが、対象の医療機関は公的医療機関に限定しています。
現在は県内の奨学金制度の変更を求めて会の名称を「埼玉県の地域医療を守る会」としていますが、全国の地域医療を守るために活動していきたいですね。県知事への要望より時間も労力もかかると覚悟していますが、いずれ何らかの機会を設けて、厚生労働省にも要望を提出したいと考えています。
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