花輪理事長の独り言
平成25年4月に大野哲郎先生が当院に着任しました。大野先生は群馬大学医学部消化器外科出身で胃疾患を中心に診療、研鑽を積んで来た、新進気鋭の外科医であります。特に腹腔鏡下胃切除およびESDが得意分野の一つで、当院着任後もすでに噴門側胃切除術1例、幽門側切除術2例、早期胃がんに対するESD3例を行っております。
当院の医療の質と幅が大きく広がったことは、当院だけの問題ではなく、秩父の外科医療、消化器疾患の医療の充実につながることでもあり、嬉しい限りです。今後も当院の利点である、小回りの利くチーム医療と迅速な環境整備を進め、スタッフが一丸となって、地域医療の充実の一助となるべく努力していくつもりです。
秩父病院だよりonline 2013年秋 No.41をご覧ください。
他職種連携、最近良く聞く言葉である。医療は多くのスタッフの連携が必要、すなわちチーム医療の重要性が叫ばれている。当院にも多くの実習生が来ている。特に夏休み期間中は多彩であった。
秩父看護専門学校
臨地実習は、年間を通じて当院での研修がある。1年生の病院見学程度のものから、2年生の慢性期、3年生の急性期の実習がある。当院の受け入れ態勢も看護学生実習指導者を毎年養成しており、計7名と充実してきた。私が主に関係するのは、手術患者の説明、麻酔、手術の解説や講義である。学校長を辞めて3年たったが、3年生は私が入学試験の面接、入学式の式辞をやったので、親しみがある。手術を見学している学生たちの目は真剣で美しい。
初期研修医
当院では研修医は即戦力となる。彼らの知識は素晴らしく、何でも吸収したいという意欲は初々しくて好感が持てる。どんどん教えてあげようという気持ちになり、スタッフ全員が全力で指導している。何でも吸収したい者と指導したい者、とってもいい関係である。指導する立場の我々が活性化されて行くのであるから、若い人の力は素晴らしい。すでに3人が学会発表を行った。内2人は論文を作成した。11月の埼玉県外科集団会には今研修している日本医科大学初期研修医の田邊智英君が発表予定である。私を含む常勤医師達も刺激されて、来年の埼玉県医学会総会、日本外科学会学術定期集会に演題を応募した。私は5年間温めていた「当院の腹壁瘢痕ヘルニアの術式」をまとめたので、発表してもらおうと思っている。
救急救命士
二次救急当番日に秩父消防の救急救命士が当院で研修している。救急車で運ばれてくる重症患者に対し、当院のスッタフと一体となった救命処置から一般救急外来の見学。救急患者の診断から治療に至る一連の流れを体験してもらっている。内視鏡をはじめ各種検査、主に全身麻酔下での手術の見学も行っている。秩父管内ではすでに30名を超える救急救命士が養成されたという。患者にとっても、救急病院にとっても重要な役割を担う救命士、適格なトリアージと高度な救急救命処置ができるよう、全員、個々のレベルをさらに高めて行ってもらいたい。
医療事務実習生
今回は熊谷にあるアルスコンピュータ専門学校の学生が二人当院で実習した。いつもリクルートスーツに身を包み、礼儀正しい女の子達であった。事務部門の実習だけでなく、放射線科や人間ドッグ、病棟や手術室の見学、体験を興味津々な眼差しで取り組んでいた。初めての手術見学も倒れることなくしっかりと見学していたので、ほっとした。頑張ってほしい。
皆野高校、農工高校、小鹿野高校の生徒が職場体験に来た。11月には影森中学生が来る予定。中学生は患者さんに接する場所でなく、いわゆる職場見学、社会授業である。将来、彼らの仕事選びの際に何らかの役に立つといいと思っている。今回の職場見学が刺激になり、できれば医療、看護の道に進んでくれればありがたい。高校生はほとんどが看護師希望の生徒であった。当院の医療現場に触れて、その意欲が膨らんでいくことを期待したい。看護師不足対策はこの年代より始めて行かなくてはいけない、気に入ってくれただろうか。
管理栄養士を目指す学生
今回初めて、女子栄養大学4年生1名の実習生を受け入れた。チーム医療の実際、糖尿病患者さんへの栄養相談の実際を学びたいとのこと。管理栄養士が病棟に出向き患者さんや他職種とコミュニケーションをとることで情報を得て、さらにカルテや検査データから患者さんの状態をアセスメントし適切な栄養管理、食事指導を行うという実践的な内容の実習に真剣に取り組んでいた。NSTカンファレンスへ参加したり、糖尿病専門医から講義を受けたり、薬剤師の業務体験もし、NST親睦会(暑気払い?)にも参加した。そして最終日「秩父病院に実習にきてよかったです」と話していた。将来は秩父地域の病院や福祉施設への就職を考えているという。管理栄養士も医療スタッフの一員として臨床の現場でどんどん活躍してほしい。
9月の症例検討会に県内大学の医療系学生が参加
9月30日に行われた症例検討会に多くの医師会の先生方の参加に加えて、埼玉県立学校の副学長の萱場一則先生以下、保健医療福祉学部の学生さん、埼玉医科大学、自治医科大学および明海大学の学生さん達が参加した。症例発表も多くあり、私は、来年の日本外科学会定期学術集会の『地域外科医療を支えるための工夫』のセクションに応募した『地域外科医療を支えるための当院の取り組み』という演題のお話しをした。その内容は当院で研修した初期研修医へのアンケート結果をもとにまとめたもので、以下の如くである。
当院のコンセプト
『地域の患者さんが地域で十分な医療を受けられること』
『地域医療に役に立つ医師、求められる医師の育成』
1、 外科医師の確保 ・ 若い医師達から選ばれる病院となるために
① 各種専門医取得を視野に入れた後期研修プログラムの作成
② 先進医療への取り組み (腹腔鏡下手術、内視鏡手技等)
③ 一般外科医として多くの症例を研鑽できることをアピール
④ 初期研修医の積極的受け入れと指導。(現在、埼玉医大・日本医大系列7病院の研修協力施設となっている) 研修医の積極的な学会発表の実践
⑤ 大学病院よりの若手医師の派遣要請と派遣医師への指導
⑥ 子育て中の女性医師の受け入れとブランクのある医師への支援、雇用
⑦ 専門医、指導医の招聘、雇用
⑧ 地元出身医師の積極的招聘、雇用
⑨ 広報活動 広報誌(ちちぶ病院だより)、ホームページの作成
2、 医療レベルの確保
① 大学との人事交流(大学の専門医による専門外来の開設・腫瘍内科、乳腺外科、形成外科等。大学指導医による当院への出張指導等)
② 開放病床とオープンシステムの実践(地域診療所の整形外科・脳外科等の専門医による手術)
③ 医療の進歩に遅れないための技術、手術の導入
(1985年低位前方切除術、1990年胃切除後再建に器械吻合導入。1992年腹腔鏡下胆のう切除術。今年より腹腔鏡下胃切除術、早期胃がんに対するESDを開始)
④ 常勤外科医のレベルアップ(専門医取得・学会活動を含む)
⑤ 個々の医師の守備範囲の拡大(一般外科医あるいは総合外科医としての研鑽)
⑥ 地域診療所専門医による各専門外来診療
3、 その他
① 地域他病院外科医師への手術指導(院内および出張指導)
② 出来うる限りの学会認定修練施設の取得(日本外科学会・日本消化器外 科学会認定修練施設関連施設、日本消化器内視鏡学会)プライマリ・ケア連合学会認定総合医研修プログラムの申請
③ 月1回開催の医師会外科医会での勉強会・講演会での研鑽
④ 月1回の医師会症例検討会への積極的参加。学会活動、論文発表
県内学生との交流
さかのぼって、平成25年9月1日、埼玉共済会館で、埼玉県の4大学、埼玉医大、防衛医大、明海大学、埼玉県立大学の学生達より依頼を受け、『医療と福祉の連携・、多職種連携』という内容の講義を行った。50人近い学生たちの参加があった。
超高齢化社会に備えて、学生たちが社会保障(包括ケア・医療スタッフの多職種連携等)に大きな関心を持っていることを知って感心した。遊んでばかりいた私の学生の頃と比べると雲泥の差である。大変勉強になった。しかし、若い人はもっと子供っぽい方が良いとも思った
当院のひまわり。ちょっとお疲れ気味。その正面にはとうもろこし。そして、写っていないけど、すいかもたくさん収穫できた。
病棟の中庭のひまわり。よくみると、太陽を見ているのではない!!いろいろな方向を向いてるぞ!おもしろい事になっている
ヘリポート周辺の百日草。今が花盛り。本当に長い間、咲いている。
2013(平成25)年6月29日土曜日、東京大学山上会館で開催された、第829回外科集談会において、埼玉医科大学国際医療センター初期研修医の細田隆介先生が、当院の症例を発表しました。演題名は「左鎖骨上窩リンパ節・脳転移を認めた大腸癌の1例」です。細田先生は3か月間、当院にて実に熱心に地域医療研修を行いました。彼にとっては初めての学会発表でしたが、堂々と落ち着いて発表できました。当院にとっては、研修医の発表は3人目であります。初期研修医の時点で、自ら症例をまとめ、文献を検索し、発表演題を完成させ、学会で発表するという一連の作業は、彼らの今後の医師としての成長に必ず役に立つと思っています。当院で研修する若い先生方には、今後も可能な限り、多くの学会に参加してもらいたいと考えています。
『地域医療を担う医師を地域で育成したい』現在の私の夢です。私の医師人生の最終目標にしようと思っています。振り返ってみますと、幸いにも、当院は結果として地域医療を担う医師を育てて来ています。常勤医として当院に勤務した6名の先生方が、地域医療の実践を習得した後、新規に開業、あるいは医院を継承し、現在は秩父地域医療の中心的役割を担って頂いています。また、この二十数年来、埼玉医科大学等から常勤医20名、非常勤を合わせると40名を超える若い先生方が当院に派遣されており、生の地域医療を研鑽しつつ、当地の医療に貢献して頂いています。
最近では、新医師臨床研修制度の発足以来、埼玉医科大学、日本医科大学系列の計5病院より、すでに40名を超す初期研修医が当院にて地域医療の研修を行っています。実は、彼らとの触れ合いを通じて、私自身、多くの事を学び、活性化され、改めて指導する喜び、冒頭の「夢」を再認識した訳です。
とはいえ、夢を実現するためには、若い医師達に当院に来てもらわなくては始まりません。どうしたら彼らに来てもらえるか、真剣に考えています。当院で研修した初期研修医たちに「今後、何を根拠に研修病院を選びますか」と尋ねました。以下がその答えです。
○指導医がいること ○学会専門医の受験資格が取れる事 ○症例数が多いこと等、自身のキャリアアップへの要望が主体であり、○環境・余暇・余裕 ○給与 等でありました。
これらを踏まえ、若い医師達に選ばれる病院を目指し、昨年末よりは、日本外科学会、日本消化器外科学会、日本消化器内視鏡学会、日本消化器病学会の各専門医取得を視野に入れた、後期研修医の募集も始めました。現在、日本プライマリ・ケア連合学会の総合医(家庭医)の研修プログラムを準備中であります。
今年4月より、内科に日本医科大学名誉教授の芝﨑保先生、外科に多くの学会の専門医・指導医の資格を持つ大野哲郎先生が着任し、指導体制はさらに充実しました。
私の医師人生もそろそろリレーのバトンタッチゾーンに入り、必然的に後継者を育て、病院としても個人としても、次のランナーにバトンを渡さなければなりません。今後5年から10年間をその期間と据え、全力で地域医療を担う専門医、総合医を育成して行きたいと考えています。
総合医についての私の思うところは秩父病院だより2012年秋N038号に書いた。私の視点は、地域医療の現場から「地域に求められるお医者さん」を想定した結果、総合医に至った訳である。
最近の情報によると、厚生労働省の「専門医の在り方に関する検討会」(座長:高久史麿・日本医学会会長)の第15回会議が1月18日に開催され、2013年度に専門医の認定等を行う第三者機関を設立し、新たな専門医制度は2017年度から開始するスケジュールが示され、この中で、基本領域専門医に『総合診療専門医』(仮称)が加えられるとのこととなった。現在、日本専門医制評価・認定機構の中で、内科、外科、小児科、救急医学、病院総合診療医、プライマリ・ケア連学会と日本医師会が一緒になったワーキンググループがプログラムを検討中とのことである。
今までも、大学等に総合診療科はあったが、スタッフは各科の専門領域から集められた専門医で構成され、その役割は各専門科の集まりである大学病院等のシステムの中での、初期医療やトリアージの機能、あるいは複数の専門科にまたがる患者や境界領域の患者を、科として診ることがその役割であったように推察する。この中に個人の総合的能力がその専門性という概念は希薄なように思われる。あくまで組織のなかでの潤滑油的、コーディネーターの役割であると言えるのではなかろうか。そんな中にあって、私には一つの疑問があった。それは、「従来の総合診療科に入局した若い医師はどのような専門医の資格を習得できるのであろうか」ということである。今回の『総合診療科専門医』が認知されればその懸念はなくなることになる。このことは、初めて総合診療科のアイデンティティーが確立されることを意味する。
さて、総合医という専門医が必要となった背景を考えてみる。一つには極端な専門医重視による弊害が再認識された結果であることは間違いない。当然、新臨床研修医制度もその反省から生まれたものと認識している。
さらに、最近の国の施策を散見すると、その根拠がはっきりと見えてくる。文部科学省、厚生労働省の施策に『地域の医師確保対策2012』というのがある。この概略を紹介したい。基本的な考え方として「地域医療の確保のためには、文科省、厚労省の密接な連携の下、医師養成の現状や高齢化社会の社会構造の変化を踏まえた取組が必要。このため、医師のキャリア形成という視点に基づき、医師の偏在解消の取組、医師が活躍し続けられる環境整備及び医療需要の変化に対応した人材育成を行うとともに、医学部定員の増を行う・・・」
具体的には
卒後地域で活躍できるキャリア形成支援 、超高齢者社会への対応として、複数疾患を抱える患者への対応、要介護者への対応、生活を支援する視点が必要 と述べ、○地域枠等による医学部定員の増 ○地域間、診療科間の偏在緩和 ○総合診療やチーム医療、在宅医療に対する教育の充実 ○総合的な診療能力を有する医師の養成 ○地域医療への貢献と医師としてのキャリア形成の両立 (若手医師が地域医療に従事しつつ、専門医等を取得できるように考慮した魅力ある専門プログラムの構築) ○地域医療を担う意欲と能力を持った医師の養成と確保等を上げている。これらを総合的に考察すると、国は地域枠で育成された医師の卒後の専門科に総合診療専門医を据えているとも考えられる。私はそのことは決して悪い施策とは思わない。
これらは正に『総合医』の必要性の根拠であり、時代の流れの中の必然の結果でもある。
初めて、私の考えと厚労省の考えが一致したようで嬉しい限りである。
一つだけ注文がある。総合医はそれでも得意分野を一つ以上持ち、同時にその学会の専門資格を取得すべきであると考える。それは人間の背骨のようなものであり、総合医という専門医として、自他ともに認める自信に繋がると考える。総合医は単科の専門医の上を行くものでなければならないと願うのである。
昨今のアベノミクスにおける今後の医療政策も、高度先進医療の充実、輸出と並行して国民の安心安全確保の為、地域医療の重視という方向性を強化して行くことを願っている。
最近、1次救急という言葉に疑問を持つようになった。というのは、夜間救急医療にあまりにも軽傷の患者が来院する状況は耐え難く思えてきたからである。いわゆる『コンビニ受診』である。秩父地域の救急体制は二次救急については夜間輪番体制を敷いており、当院を含む3病院が担当している。以前は8病院が参加していたが、近年急減してしまった。いずこも医師不足であるが、当院も例外ではなく、夜間当直医は1名、院長の私が待機当直の体制でどうにか輪番当番を維持している。休日については、昼間の時間帯は医師会の休日診療所と在宅当番の診療所が1次救急を担当しているが、夜間の救急は二次救急輪番病院が担当することになっており、当然1次より3次までの救急患者が来院する。
さて、1次、2次、3次救急とはなんであろうか。一般的な解釈では、
1次は入院の必要はない程度の軽症者に対する救急医療
2次は入院を要するような比較的重症患者に対する救急医療
3次は二次救急医療では手におえないでさらに高次の医療が必要な患者に対する医療である
以前私は、救急医療に1次も3次ない、ともかく緊急を要す患者を診る、治療するのが救急病院の努めである、と思っていたし、今でもできればそうありたいと願っている。
しかし、最近は残念ながら、心変わりをせざるを得なくなった。
はたして夜間の救急医療に1次なんてあるのだろうか、必要なのだろうか、と思うのである。
なぜ昼間の内に来なかったのと問うと 「忙しかったから」「昼間は混むから」こんな患者に限って、待たされたと文句を言う。これは問題外としても、明日の朝まで待てない1次救急の患者はいないはず。精神的不安で夜間の受診する患者の気持ちは分かるが、今二次救急の現場はそんな余裕はないのである。軽症者が大勢来れば、本来の二次救急病院の役割である、重症患者の治療がおろそかになる。3次医療機関に転院搬送しなければならないような患者がくれば、軽症患者には手が回らないのは当然である。当直医が救急車に同乗して行かなければならない場合も多い。
一方、秩父地域の救急体制に、平日夜間小児1次救急がある。平日の午後10時まで医師会や市立病院の先生方が、その名の通り小児の1次救急を担当して下さっている。ほとんどが熱性痙攣等の軽症患者、あるいは若い母親の心配、不安の為の来院であるが、小児疾患は急激に進行する疾患もあること等、小児特有な病態を考えると、私はこのシステムは大変意味のあるものと考えている。
さて、日本のように365日24時間、医者に診てもらえる国がほかにあるのだろうか。日本が世界に誇る国民皆保険、フリーアクセスではあるが、私は今や、『救急医療の現場を無視したサービス過剰状態』と言いたい。医療はサービス業と据える国や市民の感覚も納得が行かない。医療は社会保障であり救急医療は安全保障である。安全保障に1次救急の余地はない。「少しは我慢しなさい。もっと早く来なさい。朝まで待ちなさい」と言いたい。少なくとも、小児を除き、『夜間の1次救急』などと言う言葉は抹消してもらいたいと思うのである。
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