花輪理事長の独り言
12月3日は秩父夜祭です。その数日前の土曜と日曜に埼玉医科大学病院群第14回臨床研修指導医講習会に参加しました。私の例年のお祭りの行事やお客さんの接待も終わり一息ついたところで、講習会を振り返ってみました。研修施設の資格と言う意味では、当院はすでに副院長と外科部長の2名が指導医の資格を取っており、何も今さら私が指導医になる必要もありません。しかし、若い医師へ何かを伝えたいという思いは年々強くなっており、10月に「秩父花仁塾」を開設したので、指導医講習会に興味を持ち、塾長の私としてはそれも義務かとも思った訳です。
今年も当院の看護師さんや技師さん、外科の守麻理子先生がハッピ姿で参加しました
私にとって今一番やりたいことは「地域医療を担うことのできる医師の養成」です。私に出来うることはほんの少しの事であることは十分承知していますが、若手医師の現状や意識を知るにつけ、今の極端な専門志向の教育の弊害を肌で感じ、危機感を持つようになりました。若手医師を教育する指導医の講習会とはどんなものかを知りたくなりました。同時に、自分を振り返る良い機会でもあると考え、柄にもなく、年甲斐もなく、講習会に参加した次第です。
ニーズから目標を設定し、その目標に向かって実践する設計図を作る。その方法(方略)を色々と考え、活字とし、細かなマニュアルを作成する。マニュアルにのっとって実践し、その都度評価しフィードバックする。これが今回の講習会の大まかな内容と理解しました。そのための多くの理論に基づく方策があることも知りました。これを多少理解できたのは、講習会終了の数日後、これを書いている今であります。教育・学問とは複雑怪奇、手間暇のかかるものと痛感しました。
私にはすべての言葉が難しすぎました。アルファベットの頭文字の略語はなんとなく格好よく、学問的、専門的には見えますが、その意味を理解するだけで多くのエネルギーを消費しました。このことは医療の世界だけではないと思われます。
まず、Workshop(WS)の意味から理解しなければなりません。PLS、SGD、GIO、SBOs、KJ法、LS等々。形成的評価、記述のための動詞の例、認知領域、情意領域例、精神運動領域と言う日本語に至ってはただただ感服する以外ありませんでした。日本語も難しい。目的・目標を変更してでも、これらの言葉に当てはめる作業であった様な気がしています。
メディカルサポートコーチングと言う職域・領域、コーチの意味、語源まで教えて頂きました。SEAとは有意事象分析とのこと、おもわず辞書を引きました。
講習会で指導して頂いたワークショップのプロセスに沿って私の目標である「地域医療を担うことのできる医師の養成」をシュミレーションしてみました。
私は社会的必要性から目標を立てました。行動目標は要約すると「専門性を併せ持った総合医の養成」ですが、具体的項目はあまりに多すぎて、これを列挙してもあまり意味を持たないように思いました。また、項目を内容別に割り振っても本末転倒の感があります。研修方略としての方法・場所・対象人数・媒体・時間等も現場主義とマンツーマンが基本の私の塾にはなじみません。私は、直感的、感覚的な伝達法が、即効性、持続性があり記憶に深く刻まれると考えます。その意味でSEAは日本語訳はともかく、指導医が「良くも悪くも強烈な印象として残ったこと」を伝え、研修医自身同様に印象に残ったことを、シートに残し自己確認する方法は素晴らしいことと思いました。
太平洋戦争の連合艦隊司令長官、山本五十六の言葉に「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という言葉があります。人を育てる上で大事な要素が詰まった言葉と思っています。この続きに「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」「やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば人は育たず」とあります。
今回の講習会でも同様の意味のご指導をたくさん頂きました。しかし、残念ながらこの言葉のようにダイレクトに私の記憶に刻まれることは多くはありませんでした。
私のレベルでは「見ていなさい」「やってみなさい」「いいじゃないですか」、SIB(Simple is best)のようです。私の塾の対象者は「志」を持つ人のみですので、精神的方向は決まっており単純明快と言えますが、それだけに、私も伴に学び、モチべーションを保たなければなりません。せめて私に出来ることは何かを再確認した講習会でありました。
せっかく講義を受けたにも関わらず、私の能力不足で感じ取れたことは以上であります。
最後に最も感動したことは、埼玉医科大学病院長始め、タスクホース、コーディネーターの先生方とそれを支える事務職員の方々の熱意であります。大学とはこうあるべきと言う姿を見せて頂きました。
私の様な直接の大学関係者でもない者を快く受け入れ、ご指導頂き、本当にありがとう御座いました。心より感謝申し上げます。
2015年11月21日開催された埼玉県外科集団会で、研修医の大石典子先生が「パッシング乳頭部陥頓結石による急性膵炎の1症例」を発表しました。大石先生は日本医科大学病院の初期研修医で、当院で地域医療研修をしました。私と守麻理子先生もこの学会に参加しましたが、堂々とした立派な発表で、共同演者の応援の必要はありませんでした。当院での研修は1か月と短いものでしたが、この学会発表が彼女のキャリアアップに繋がることを期待しています。学会終了後は、浦和名物のウナギで打ち上げとしました。
私はその後、今年最後のクルージングに伊豆に向かいました。久しぶりにくっきりとした富士山を拝めることができました。
今年は3回に分けて職員をヨットに連れて行きました。現在のホームポートである静岡県清水の富士羽衣マリーナから約4時間のクルージングで西伊豆松崎まで、そこで釣りを楽しむという行程です。職員の全員が船酔いもせずに、たくさんの魚を釣り上げることができました。それをすぐに松崎マリーナのオーナーの濱田さんや地元の仲間が調理してくれ、素晴らしいランチ、ディナー、おいしいワインを楽しみました。濱田さん、栄ちゃん、池野さんありがとうございました。また来年も行きますのでよろしくお願いします。
釣果や食事の様子は看護師ブログに掲載してあります。
平成27年10月1日より秩父花仁塾を開塾しました
対象者 当院スタッフおよびOB、当院で学んだ研修医、その他職種を問わず当熟の趣旨に(秩父病院だよりNo44―秩父花仁塾)に賛同するすべての医療人
入塾資格 志(こころざし)を持つ人
塾の活動
塾生には下記に付連絡します。随時参加して活動して下さい
1、 秩父病院が参加、関係する学会・講演会・勉強会・検討会・連携会等
2、 秩父病院の新年会・忘年会・歓送迎会・その他懇親会
3、 秩父病院が主催する病院旅行・スポーツ大会・渓流釣り大会・登山・ヨットクルージング・海フィッシング等のイベント
4、 メール等による当院および秩父郡市医師会への症例検討会への参加。
困った症例等に関しては症例検討会で真剣に検討します。また、随時、何時でも、科を問わず何でも、相談に応じます。緊急時は電話相談(病院:0494-22-3022、院長携帯:塾生にはお知らせします)にも応じます。
また、進路や将来の悩み等の相談もして下さい。
入塾の確認と完了
口頭での確認と下記の連絡方法が確認できれば完了です。書面は必要ありません。
入塾を希望する方は
自宅または郵送先住所、自宅電話または携帯電話番号、またはFAX番号、パソコンまたは携帯メールを下記の秩父病院花仁塾事務局までお知らせ下さい。共にプロとして、志を持って研鑽を積み、同時に幅広く人生を楽しみましょう。
連絡先
TEL 0494-22-3022(代表) (花仁塾事務局)
メール kajinjyuku@chichibu-med.jp
FAX 0494-22-3096
秩父病院院長・秩父花仁塾塾長 花輪 峰夫
平成27年10月1日 院内保育園「花の子ハウス」を開園しました。
概要 秩父市泉町20番
延べ面積 61.60㎡(一階、木造)
定員 10名
確認済証証明日 平成27年4月14日
院内保育所の整備はこの10年来考えていたことです。医師会で整備出来ないかとか、市立病院の保育施設を利用させてもらえないものかとか、それなりに検討、打診はしたこともありましたが、結局、落ち着くべき最良の結果になったと思っています。
第1に職員が働きやすい、特に女性に優しい職場への環境改善という意味合い、第2に医師を含む応募者に選ばれる病院の条件として、さらに第3として子供がいると職場が明るく活気がでる・子供効果をも期待しています。
また、近年、当院では職員の絶定数に不足はないものの、看護師始め職員は若い人達が多く、産休、育休等で夜勤が出来なくなる職員が増加して来ています。この施設が夜勤者確保に繋がると病院にも母親にもメリットは大きいと考えています。
ともかく、子供が多いと言うことはめでたいことであり、当院が地域の少子化への流れを少しでも緩やかにできれば本望であると思っています。
今後は出来うる限り良い保育施設、単なる託児所でなく、幼児教育にポリシーを持った、幼稚園を越える院内幼児教育施設として、発展させたいと考えています。
平成27年10月5日、秩父病院医療連携会を昨年に続き、農園ホテルにて開催しました。
医師会、歯科医師会、薬剤師会の先生方、久喜市長始め秩父市の職員、消防、さらに各医療機関のスタッフの方々等、200名近いご参加を頂きました。以下、連携会の内容を紹介します。
医療連携会配布資料 表紙
プログラム(pdf)
ごあいさつ①(pdf)
ごあいさつ②
私の「極端な専門医志向の弊害と対策・地域病院の役割」は今年6月の第40回日本外科系連合学会学術集会で発表したもので、すでに院長ブログ上にて紹介済ですので省きます。(2015年7月の「久しぶりに学会で発表しました。」をご参照ください。)
医師主導臨床研究のご紹介(pdf)
これからの秩父地域の口腔がんについて(pdf)
最後に秩父市立病院の勅使河原院長に、秩父市立病院の歴史、現状、市立病院が期待されていること、さらに、秩父地域の救急医療をはじめとする医療の全体像から今後の包括医療体制まで、秩父の医療全般にわたって、実に広範囲のご講演を頂きました。
引き続き行われた懇親会も多くの方々のご参加を頂き、和気あいあいとした中で、本医療連携の大きな目的の一つである緊密な懇親が図られました。
私としては良い連携会であったと自画自賛しております。
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今年(2015年)3月中旬頃、突然、母校の後輩でもある日本医科大学の消化器一般外科教授、内田英二先生より6月18、19日に東京で開催される第40回日本外科系連合学会学術集会に何か演題を出してほしいとの電話をもらった。内田先生が学会長を務めるとのことで、早速、守麻理子先生に「腹壁瘢痕ヘルニア術後再発症例に対し腹膜前パッチ被覆法が有効であった1例」の演題で応募するよう指示した。内田教授の教室には、すでに当院で研修を行った数人の初期研修医の先生方が入局して活躍している。また、2014年の秩父外科医会新年会に秩父にお出で頂きご講演をお願いしている。数日後、私にシンポジウムの演題発表と座長を務めてほしい旨の依頼があり、私は大変光栄に思い、お引き受けすることにした。しかし、シンポジウムのテーマは「外科系診療を取り巻く社会的問題」とのこと。何を話せば良いか困惑したが、色々と考えた結果、やはり私が普段より考えていること、と言うよりこの十年来頭にこびりついていることを訴えることとした。
以下が発表原稿であるが、演題発表の制限時間は発表7分、ディスカッション3分と短く、実際に発表したものは、この文章を五分の一位にそぎ落としたものです。
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発表も終わり、帰りの西武線特急の中で、今回の学会を振り返った。光栄なことに、学会前日の評議員会懇親会、加えて会場の京王プラザホテルの宿泊も招待とのことで、無銭飲食・宿泊であった。美味しいフルコースのフランス料理、ワインにも満足したが、学会長の内田英二先生、前教授で現日本医科大学学長の田尻孝先生始め多くの母校の先輩、後輩、他大学の先生達やその他の高名な先生方と歓談できた事は実に愉快であった。さらに、もう一つ感激したことがあった。それは三十数年前、私の学位取得の時大変お世話になった、当時日本医科大学第二外科学教室の主任教授であられた、庄司佑先生にお会いできたことである。先生は私のことを「花輪君か」と覚えていて下さった。頭脳清明、大変お元気であられた。
田尻学長や内田教授の挨拶で、この学会の最初の会長は初代日本医科大学第二外科学教室教授、あの斉藤漠先生、その後は庄司先生も務められたことを知った。そして今回の内田先生である。私のクラスは斉藤先生の講義を聞いた最後の学年であった。私は日本医科大学第二病院の外科に入局したが、この医局は第二外科の流れをくむものである。斉藤先生は学生にとっては大変怖い教授であり、日本の外科を背負って立っている憧れの外科医であった。斉藤先生の手術記録は正に芸術であった。なつかしい思い出に浸ることができた。
翌日の発表は言いたいことは伝わったと思っている。共同座長の先生はたまたま、今年の日本外科学会学術集会のディベートセクションで、私がフロアーから発言した時の座長であった。この時は、虫垂切除について「開腹か腹腔鏡か」の論戦形式の議論が行われ、「フロアーの中に看護婦さんと二人でアッペをやっていた時代の先生はいらっしゃいますか」との座長の誘導に、つい我慢できず手を挙げ、開腹・触診の重要さを訴えた。「手術とは正に字の通り、手はメス、手の平は鈎、指は精密なセンサー ・・・・」と。今回は私の発表について「長年実践をやってこられた花輪先生の心の叫びの発表でした」とのコメント、次演者の発言も「先生のおっしゃる通り」とのことで、構えていた私としては、肩透かしの感があったが、一方で、少し気合が入り過ぎていたのか、あるいは年齢のなせる圧力のようなものがあったのか、自分の年齢と立場を自覚した複雑な心境であった。一人二役の座長の方は若い先生方の励ましで終わった。
久しぶりに「秩父病院だより」を書いた。前回の43号に豪雪のことを書いてより1年経過してしまいました。今回2015年春号(N0.44)に「秩父花仁塾」と題して、「地域医療を担える医師の育成をしたい」具体的には「専門性を併せ持った総合医が目標である」と書きました。そして、「私の考える『総合医』については、当院ホームページ・院長ブログをご覧いただきたい」と記しました。そこで『総合医』について、現時点での私の考えを改めて書き留めておきたいと思います。
現在、「総合診療専門医」が注目されています。新専門医制度の発足により、2017年度に刷新される専門医認定制度が明らかになり、基本領域に「総合診療専門医」が加わり、19領域となると言うことです。これは超高齢化社会では、複数の病気を抱えた患者が増え、そのため従来の臓器別診療体制では適切に対応できないため、よくある病気の基礎的な診療を万遍なく行い、必要に応じて専門医につなぐ、縦割りの診療科の弊害を取り除くための医師の養成が目的のようであります。さらに地域の事情に合わせた対応も行い、医療多職種との連携、包括ケアシステムのリーダーとしての役割も期待されているようです。研修期間は3年、資格認定は20年度からとのことであります。
私はこの考えには70%は賛成でありますが、私の考える総合医とはだいぶイメージが違います。単にコーディネーター的役割を担うのではなく、得意分野を持つことが必要であると考えます。人間でいうなら背骨みたいなものが必要です。
超高齢化社会を迎え、「総合診療専門医」の必要性は理解できるところでありますが、私の考える総合医とは大分イメージが違います。基本診療科研修に外科はなく、小外科、外傷は救急医療研修で行うとのことですが、私は一般外科の研修は必須と思います。
総合医は3年程度で養成できるものでなく、生涯教育の範疇とも言えます。少なくとも10年以上のスパンで考えるべきでしょう。最も重要なことは、指導者の意識・考え方・教育方針であります。「温故知新、故きを温ねて新しきを知れば、以って師と為るべし」は指導医の絶対条件と考えます。
「専門性を併せ持った総合医・器が大きく、懐が深く、成熟度の高い医師」が理想でありましょう。具体的には外科系、内科系というより「地域医療を担うことの出来る医師、その地域、置かれた立場で役に立つ医師」の養成であります。それは、その地域の状況や医療環境により、救急医、総合内科医、一般外科医等が考えらますが、これらの基本領域専門医を併せ持ってこそ、総合医と言えるのではないでしょうか。
しばらくブログを書きませんでした。というよりとても書く気持ちにならなかったと言う心境でありました。人は感情に左右されます。情けないもので、私も例外ではなく気分が乗らなかった訳です。なぜかと言うと以下の理由がありました。
当院では昨年の春に東芝製の80列CTを導入し、CTC、血管3D撮影等、大変活躍しています。そろそろ、冠動脈CTも始めようと言うことになり、平成27年2月5日、試験台のつもりで検査施行。造影剤注入は左程の違和感もなく、無事終了。私は元来除脈なので問題なし。ところが、左冠動脈前下行枝に石灰化と狭窄所見あり。そこから憂鬱な日々が始まりました。埼玉医科大学国際医療センター心臓内科の西村教授にご相談申し上げ、2月26日大学にて負荷心筋シンチ施行。結果現状ではCAGの必要なく、バイアスピリン等の投薬にて経過観察となりました。その後、3月13日血便あり。3月18日CF、CTC施行。多発憩室と小ポリープのみ、出血部不明。現在とりあえず一段落で、以前のように、朝の犬の散歩と筋トレ、腹八分目を意識し多少のダイエットに取り組んでいます。普段から私は「もうやることはやって来たので、何時逝ってもいいさ」と嘯いて来たのに、何とも情けない話でありました。患者さんの心境が多少理解できた出来事でもありました。
この間、普段ならブログに紹介するべき様々な事がありました。
2月8日は大学のスキー部のOB戦がありましたが、気力喪失で欠席しました。今シーズンは3度職員を連れてスキー、スノボ日帰り旅行を行い、今年は絶好調でレースを楽しみにしていましたが、本当に情けない話です。
2月22日は埼玉県医学会総会で大野哲郎先生が「Mini Loop Retractorを用いた単項式腹腔鏡下胆嚢摘出術」、守麻理子先生が「当院におけるヘリ搬送の現状」を発表しました。
いずれも立派な発表で会場からは、当院ヘリポート設置について、「住民の反対等、ご苦労したことはありませんか」との質問がありましたが、私から「近隣の方々も理解し賛同してくれました」とお答えしました。
今年の2月、3月は例年になく手術が多く、何かと多忙で、さらに天候も不純で晴れの日は少なく、ただ寒く、精神的に本当に苦しく、疲れた時期でありました。
3月12日、人間ドック学会病院機能評価 情緒不安定の為、院長としては結構居直り的発言。
3月17日、父命日で墓参り、「どうぞ守って下さい」などとは言わず「そろそろ行くかも知れない」と父に報告
3月21日、兄命日。初めて御殿場にある、「チームルマン」の工場と「花輪知夫記念館」を見学。
兄の最後の入院闘病を思い出つつ、「兄は大したものだったのだ」としみじみ回想する。「彼こそやれることはやった。十分生きた」と勝手に思う。
その後、ヨット事始め、伊豆へクルージング。しかし、北西強風のため、日程を切り上げ、逃げるように帰港。4月に入っても寒い日が続きましたが、木々は多少芽吹きが遅れたものの、確実に春を迎え、これに伴って、私も徐々に平常心をとりもどしました。
4月17日、18日は名古屋の国際会議場で行われた、日本外科学会定期学術集会に出席。昨年の大野哲郎先生に続いて今年は17日に守麻理子先生が「当院における腹壁瘢痕ヘルニア手術法の検討」を発表しました。
当院の手術法は前腹膜スペースにパッチを置き補強するという方法ですが、質問は「上腹部の場合は剥離が困難ではないか」との予想されていたもので、「困難な場合は腹直筋後鞘と腹直筋の間に置く」と答えました。
その後は会頭講演を聞き、昼食は守先生の勞をねぎらい、老舗の「ひつまぶし」をごちそうしました。昼食を取りながらふっと思ったことは、「当院の演題が良く通ったものだと」ということです。日本外科学会の演題はなかなか通らないものです。しかし、腹壁瘢痕ヘルニアの演題のほとんど総てが、腹腔鏡に関するものでありましたので、当院の演題は貴重であったのではと思いました。そして、改めて素晴らしい方法であることを確信した次第です。
今回の学会のメインテーマは「メスの限界を求めて」でありましたが、一般演題は鏡視下手術に関することが大半を占め、その手技や成績を発表したものが多かったように思いました。しかし、私の学会全体の印象は、反面、行き過ぎた鏡視下手術への反省や再検討の雰囲気もあった様に思います。
そんな中で、面白かったのは、ディベートセクションで、ヘルニア・アッペでの「腹腔鏡VS開腹」でありました。それぞれを「良し」とする二人の演者の対決方式でありました。それぞれの言い分に納得できたこと、双方のスタッフや医療環境が違ってかみ合わないこと、何を言っているのかと呆れたこと等、大変興味深く聞き入りました。ディスカッションは若手医師の教育におよび、双方とも視野のことにこだわり、その優位性を主張しました。
最後に司会の先生から「フロアーからの発言はありますか」「フロアーには看護婦さんと二人でアッペをやっていた時代の先生方もおられると思いますが、何かご意見は」との挑発的言葉を聞いた時、どうにも我慢ならず私は反射的に手を挙げました。そして以下の発言をしました。
「先ほどより興味深く拝聴させて頂きましたが、ディベートですので申し上げます。手術とはその字の通り、手で行うものです。診断に置いても、手の感覚、触診は必要です。また指はメスともなり、鉗子、鉤ともなります。是非とも、特に若手医師の教育にはお忘れなき様お願いします」
会場は一瞬シーンとしてしまいました。私はその瞬間「空気を読めない」ことを言ってしまったと感じ「しまった」と思いました。最後の発言でもあり、セクションの総括の様な雰囲気になってしまったか、あるいは私の言い方・発言が、かなり挑戦的であったためなのかも知れません。実際、「何を馬鹿なことを言ってるんだ」と思っていたので、結構気合は入っていました。しかし、すっきりしたことも確かです。そのセクションが終わった後に、以前に当院に勤務していたことのある外科医が駆け寄ってきて、「先生の気持ちが込められたお話しでした」と顔を紅潮して私に話しかけて来ました。私は何かもやもやしていた雲が晴れたような気持ちになり、学会に参加して良かったと正直思いました。それまでは、私にとって「若い異次元の医師集団が何だか勝手に騒いでいる」という違和感があったからです。昔のやっていたことが総て悪いことと思っている人は経験が貧弱な人、先進医療が総てと思っている人は基礎のない人です。手法・技術を貫徹するために患者がいるのではありません。本末転倒を感じた学会でもありました。
連休の前に西伊豆で釣り三昧を楽しみました。獲物はキダイ、カサゴ、アマダイ、食材はアシタバ、新じゃが、新玉ねぎ、数種類のハーブで、刺身、ブイヤベース、カルパッチョ等、西伊豆松崎マリーナの浜田氏が腕を振るってくれました。過去最高の美味でした。
春の草木が病院をカラフルに彩ってくれています。
是非こちらもご覧ください⇒当院の草花・植栽・菜園
2014年11月27日のブログでご紹介した、「ドクターマガジン」という雑誌の巻頭「Doctor′s Opinion」。
その後、多くの医療関係者にお配りしたところ、様々なところから反響をいただいています。
その為、改めてリポストいたします。
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私は最近、大学等の極端な専門医教育と風潮とも言える医療内容に非常な違和感と危機感を持っていたので、遠慮なく自分の思うところを書いた。これも十分に還暦を過ぎないと言えないことである。タイトルは「総合医養成こそ地域病院の使命だ」とした。最近若い研修医と触れ合うようになって、医師の教育に興味を持つようになった。「地域医療に役に立つ医者を養成したい」これを私の医者人生の最終章のライフワークにしようと思っている。
『ドクターズマガジン』2014年12月号 巻頭「Doctor’s Opinion」のPDFはこちら
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