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花輪理事長の独り言

院長ブログ

130周年記念Tシャツ

現在、11月に予定している、創立130周年記念医療連携会の準備と記念誌の作成に追われている。記念誌の職員全員の原稿は総て集まり、日頃お世話になっている医療機関の先生方やOBの先生方等よりのご祝辞、ご寄稿も概ね頂き、形が整いつつある。本当に有難いことである。心から御礼申し上げる次第である。今は写真や記念誌のデザイン、編纂作業に入った。

前回、当地域の救急医療(特に夜間二次救急体制)について、現時点での私の考えを記念誌より転載し紹介したが、今後、このブログに記念誌の内容を随時紹介して行きたいと思う。

 

 今年の夏は正に猛暑である。先日(平成30年7月23日)熊谷が暑さ日本一の記録を更新した。なんと41.1度であった。

 7月18日、やはり猛暑の中、130周年の記念事業に備え、ヘリポートに職員が集合し、ドローンによる撮影会を行った。130を人文字で描き、上空より撮影した。130周年の記念に職員がデザインしたTシャツを作成、全員がこれを着込んで撮影した。記念誌と連携会でこの写真を使おうと思っている。

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花の子ハウスのスイカ割り

今日(7月24日)は比較的暑さは和らぐ。

花の子ハウスではスイカ割が行われた。スイカは花の子農園自家製の大きなスイカである。子供達はおなか一杯。残りはやはり自家製のトウモロコシと一緒に職員食堂で振舞われた。

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救急医療

昨年の12月以来、私のブログはお休みしていました。一番の理由は、秩父病院創立130周年記念誌を創ろうと思い立ち、その準備で手が回らなかったからです。前回は創立110周年記念誌を発刊しましたが、この20年で医療も当院も大きく変わりました。

平成30年11月19日(月曜日)に130周年記念医療連携会を行おうと考えています。

 

昨年、(2017)年4月第117回日本外科学会定期学術集会において、 特別企画(5)で、「研修医の視点に学ぶ格差解消への模索と地域医療の役割」をお話しさせて頂いた後、このブログでも紹介しましたが、インターネットサイトm3.comの取材を受け、

 Vol.1 夢見た地域完結の医療「今は無力感と脱力感」

Vol.2 「総合医の養成」は地域病院の使命

がサイトにのりました。タイトルがかなり悲観的であったため、多くの方々より「先生どうしたの?」とご心配やら励ましやらのお言葉を頂きました。

また、2017年秩父市報9月号に秩父の医療現場から 「救急医療の現状の課題と将来について」を書きました。内容は「当院は夜間二次救急体制を段階的に縮小して行く、将来的に夜間救急体制を公的病院たる秩父市立病院に集約して行く」と言う提案です。

 また、4月12日に、正式に文章で秩父広域市町村圏組合と秩父郡市医師会に当院の方針を伝えました。

 

 以来、市・広域・医師会等でご心配頂いていることは承知しています。しかし、当院の申し出に対し、市は「再考を」との事のみで、私の提案に対しての具体的な意見や回答はなく、医師会やちちぶ医療協議会での議論も、何時もそうですが、私の指摘する問題はすり変えられ、違った方向に進んで行っているように思われます。私は、ただ疲れたから、大変だから救急をやめたいなどと言っているのではありません。もちろん無力感も脱力感もありません。ごく自然な前向きな提案と思っています。

 そこで、夜間二次救急を縮小する本意を知ってもらいたく、しつこい様ですが、何度目かの発信をしたいと思います。

当院130周年記念誌・当院の基本方針の中から抜粋してお話しします。現時点の私の考えです。

 

前文略、、、、、、。当院のもう一方の柱は救急医療である。「救急は医療の原点」は当院の理念であり、永遠に変わることはない。しかしながら、当地域の救急医療の実際を考えると、医療者の理念以前の問題として踏み外してならないものがある。それは我々には「患者に最適な医療を提供する義務がある」と言うことである。これは逆に言えば、「患者の権利」である。医療の進歩、高度化に伴い、地域内で行え得る医療行為は相対的に減少して来ている。先に述べた当院で行う手術の範囲の縮小と同じ意味を持つ。現状では全てを完結は不可能であり、最も大切なことは、対処不可能な症例の場合、「いかに早く患者さんを適切な治療のできる医療機関に送るか」である。病院移転に際し、ヘリポートを併設した所以はここにある。いや、そのために移転したと言ってよい。

患者さんの利益を中心に据えた時、秩父地域の救急システム、特に夜間救急に限界が来ている事は明らかである。

くどい様だが、医療の急激な進歩、人や医師の都市集中は地域内での完結を不可能にした。相対的に地域医療は弱体化しているのである。従って、より広い視野を持ち、より広域の医療体制しかないのである。現実を直視すべきである。この20年間で、私の考え方が最も変わったのはこの事である。『秩父地域完結医療はあり得ない』すでに現状の医療圏と言う狭いレベルでは地域医療は為すべきではない。平成30年1月より開始された、埼玉県急性期脳梗塞治療ネットワーク構想は大きな進歩と考える。

当院の様に夜間救急を一人の医師が全てを担うことなど、あまりに荷の重いことであり、結果として患者の権利を阻害することも有り得る。なにより医療者としての良心が許さないのである。

ではどうするか? 行政が、市民の理解の基、公費(税金)を有効に使い、より広域の医療・連携システムを作り上げる事を要請したい。具体的には、当地域で対処不可能な重症かつ緊急疾患に対する迅速で円滑な転送システムの構築である。ドクターヘリのさらなる活用、夜間のヘリ搬送、地域独自のドクターカーの整備と運営、当地域専用の後方病床の確保もその一つであろう。既成概念から飛び出し、知恵を使うべき時期である。当地域においては、公的病院たる秩父市立病院が、この使命を担うべきと考える。

 

問題はあくまで「夜間の当地域で対処不能な重症患者」のへの対応を問題にしているのであります。休日診療所や在宅当番の改善を要求しているのではありません。

医師会には、当院の夜間救急体制の段階的縮小の意味をご理解頂き、市や市立病院に対しての働きかけを期待したいと思います。


医療連携会

今年も11月20日(月)に秩父病院医療連携会を開催しました。

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毎年秩父医師会を中心に歯科医師会・薬剤師会の先生およびスタッフの方々。消防、保健所、保健センター、行政、秩父看護専門学校、臨床検査センター等にご案内を差し上げており、150名近い方々にご出席を頂いておりますが、今回はそれを上回るご参加を頂きました。

今回は初めて秩父市議会の7名の議員さん方にご出席を賜りました。またこれも初めてのことですが、埼玉医科大学国際医療センターより総合診療・地域医療科の古屋大典教授とスタッフの方々、さらに埼玉石心会病院よりの副院長・脳神経外科部長の石原正一郎先生と医療連携室の方々にもご出席頂きました。

秩父市議会の議員さん達にご案内を差し上げたきっかけは、私が寄稿した9月の「ちちぶ市報」を読まれた議員さんのお一人が、市議会でこれに関連した質問をなさり、その内容を私にお知らせ頂いたことでありました。成程、市民の代表者である市会議員の皆様にもこの連携会に参加していただく事は大きな意味があると考えました。

だんだんに欲が出て、今回は広く圏外の高次医療機関へもご案内を差し上げる事としました。しかし、期間が迫っていて、上記の2医療機関のみとなってしまいました。

私は埼玉医科大学主催の医療連携会(現在まで36回)には初回より欠かさず出席しており、長年良好な連携関係が続いております。「逆も真なり」と考えました。医療とアクセスの進化と発展、患者のニーズの変化等に伴い、より広域的連携は不可欠となってきています。

このような考えから当院をより深く、より広い範囲の方々に知って頂く事は、当院のみならず、秩父地域医療の為にも重要なことであるとの認識に至りました。

来年からは、さらに広い連携を目指して行きたいと考えております。

 2017年医療連携会パンフレット

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ちちぶ市報

久喜秩父市長の依頼を受け、平成29年9月の「ちちぶ市報」に「ちちぶの医療現場から」というシリーズの2回目として【救急医療の現状課の課題と将来について】のタイトルで寄稿させて頂きました。以下その全文を紹介します。

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救急医療の現状の課題と将来について.pdf

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夏至の夕暮れ時の悪夢の出来事

夏至に近い夕方、(17時20分)一人の患者さんが当院に自力歩行で来院しました。苦しそうではありましたが、その疾患の症状としては軽い方だったようです。背中が痛いとのことで、外来担当の先生が早速検査、CTにて急性大動脈解離、(stanford A)と診断しました。

さあ大変だったのはそれからです。

1、まず大学の救命救急センターに連絡

2、救命センターより心臓血管外科に回され病状説明。一旦電話を切り連絡待ち

3、ほぼ同時にドクターヘリ基地に連絡、受け入れ先が決定すればヘリ搬送可能との返事

4、他の救命救急センターに連絡、一旦電話を切り連絡待ち

5、しばらくして受け不可能の連絡

6、ドクターヘリ最終離陸時間は18時15分との連絡あり(日没:19時00分)

7、約30分後、大学の心臓血管外科より受け入れ不可能の連絡

8、再度ドクターヘリ基地より電話連絡。ヘリ搬送は時間切れとのこと

9、県立病院に依頼、収容不可能

10、川越の大学病院へ依頼、収容不可能、群馬県の救命救急センターを勧められる

11、群馬県の救命救急センターへ連絡、収容不可能。県内の2病院への依頼を勧められる

12、埼玉石心会病院へ電話依頼。結果、快くお引き受け頂く(6病院目)

13、19時30分(初診より2時間10分後) 私と研修医が同乗し当院を救急車で出発

14、20時30分 埼玉石心会病院到着

15、22時 当院帰院  約4時間30分の事件であった

 

その後患者さんの手術は無事終了。

7月初旬には退院となりました。

 

「救急患者のたらい回し」という嫌な言葉があります。一般には救急隊が患者を収容したものの、複数の病院に断られ、病院での診察までに長時間を要した状況のことを言います。秩父医療圏はこのたらい回しの率が、埼玉県で一番少ないのですが、これは我々地域の2次救急病院の努力と汗(冷や汗)の結晶と自負しています。

この事例は病院に収容したものの、この疾患を扱える高次機能病院への搬送受け入れまでに5病院に断られ、6病院目、初診から3時間10分後に専門病院に搬送できたというもので、いわば3次救急のたらい回しと言えます。許せない事です。

残念ながら秩父地域には、この患者さんのような大血管疾患、心筋梗塞、脳卒中等の疾患を治療できる医療機関はありません。

従って、対処不能な疾患では大学病院等にお願いすることになります。以前は今回のような事例は頻回にありましたが、近年は大学等のご配慮や救急搬送システムも充実してきており、このような事例は少なくなってきております。

そもそも、日本の救急体制は1次、2次、3次救急に分かれており、おおざっぱに言うと、1次は外来診療で済む程度のもの。2次は入院治療が必要となるもの(主に二次救急病院が担う)。3次は2次救急では対応できないもの。となっており、3次救急医療を扱う医療機関は救命救急センターとして、100万人に対し一施設が整備されています。従って埼玉県では人口700万人を超え、8施設の救急救命センターがあります。言ってみれば、我々2次救急病院と患者にとって最後の砦と言えます。

先に述べたように、秩父では、たらい回しの率が少ないのですが、それは取りも直さず、あらゆる患者さんを収容し、その中には対処できない患者さんも大勢いるということです。

救急医療をやって行く上で、最も大きな負担を強いられ、多大エネルギーを費やすのは、受け入れ病院を探すこと、そして患者を医師が付き添って送り届けることです。この事例での、受け入れ出来ない理由は、ICUが一杯、心臓血管外科医が不在、理由不明、でありました。

これだけは言いたいと思います。2次救急病院である我々は、患者を断りません。「少なくとも救命救急センター、3次救急を名乗っているなら、まず収容しなさい」と。「その上で、貴方たちが考え、他施設に紹介するなり、専門医の呼び出しをかけるなりすべきでしょう」私は消化管穿孔や出血等で緊急手術が必要な時、秩父にいる限りは、どんな時でも(たとえ酔っぱらっている時でも?)病院に出向きます。そう、我々と同じことをしてほしいのです。

 

埼玉石心会病院は立派でした。素晴らしい、の一言に尽きます。その後のご配慮、手術翌日の電話報告、お返事、手術の詳細等も丁寧で完璧でありました。当院もそうありたいものです。

埼玉石心会病院は11月には増床新築移転し、ヘリポートを併設、ドクターカーも整備すると聞いています。

今後同病院とは緊密な関係を築き上げて行きたいと考えています。私が同病院の救急外来に入った時、以前の当院のようなレトロな雰囲気と正に現場の空気を感じました。埼玉石心会病院には失礼ながら、当院と同じ匂いを感じます。目的と理念を共有できそうで、良い連携が出来そうな予感があります。本当に有難う御座いました。感謝に堪えません。


Internetサイトm3.comの記者さんから取材をうけました。

記者さんのお話では、前回のブログで紹介した、今年の4月に横浜で開催された日本外科学会定期学術集会での私の発表に興味を持ったとのこと。同時に、秩父病院と私にも興味を持ったのかも知れませんが、当院のホームページ、この院長ブログにも目を通して頂いたようで、5月のある日に取材をうけました。

記者さんは当院に来院され、大きく分けて二つの点を質問してきました。

 

一つ目は私のブログ「救急医療に対する今後の当院の方針」への質問でした。

この冒頭の「地域医療計画の中で、当院の方針は大きな進路変更はしないこととしました。ただ、救急医療については、来年度より段階的に縮小させて頂きたいと考えています」という私の考えに、おそらく現在厚労省が進めている地域医療計画に呼応してのことと、興味を持たれたのではと思っています。私は当地域の救急医療の経緯、現状をお話しし、今の私の正直な心境(ブログに書いた通り)をお話ししました。

 

6月23日記事が掲載されました。

Vol.1  夢見た地域完結の医療、「今は無力感と脱力感」.pdf

地域完結を夢見て来たことはその通りです。地域の医療機関が全体として一つの総合病院としての役割を果たす。それは最近の流行語ともいえる医療連携というより、地域内の医師同士の助け合いでありました。当院では専門外の手術であっても、地域内にその分野を得意とする医師が居れば、お互いに医師が出向き、あるいは大学等より専門医を招聘してやっていました。ある時期は秩父地域の脳卒中患者の90パーセントは秩父市立病院で治療できていました。現在でも当院では、解放病床、オープンシステムを維持し懸命に地域内で対処するべく努力しています。ただ地域内医療機関同士の連携は以前より少し希薄となってきた感じはあります。

さらに、医療の急速な進歩・変化と医師の専門医志向、地域内の病院の減少、個々の医師の守備範囲の縮小により、地域完結は今や正に遠い夢であります。しかしこれは自然の流れと受け止まるべきであり、無理な地域完結は宜しくないと思うのです。これからの地域医療は、より広域の地域完結を目指すべきでありましょう。そんなことは百も承知でこの45年間、救急をやって来ました。出来ないものはより迅速に高次医療機関にお願いする。私は、6年前にヘリポートがほしくて病院を移転しました。そろそろ機が熟したように思います。今後はさらに進化した広域的医療連携が必要です。より迅速、確実、簡単に成されなければなりません。なるほど、地域完結に夢破れた感はありますが、これは今始まった訳ではありません。その代り、今新しい助け合いの形を見つけつつあります。ヘリ搬送もその一つでありましたが、これはいずれご紹介します。

当院の今後や秩父地域医療の将来に失望した訳では決してありません。消化器疾患、歯科、健診等、得意分野はさらに充実させ、地域完結と病院内完結を目指してまいります。

 

二つ目は、先の日本外科学会定期学術集会で私が講演した内容に関連し、総合医を視野に入れた若手医師養成の在り方についてでありました。私は持論である「極端な専門医志向の弊害」とその対策としての地域医療・地域病院の役割についての私見をお話ししました。また、私の考えをまとめた発表論文、当院の医療連携会等の資料の幾つかをお渡ししました。その他、病院にとって研修医を受け入れる意義、研修医OB達を対象とした私塾「秩父花仁塾」のこと等の質問に答えさせて頂きました。初期研修医達への取材もありました。私は医師が成熟していく上で、地域医療の経験は必須であることを強調しました。

 

6月30日 記事が掲載されました。

Vol.2 「総合医の養成」は地域病院の使命―花輪峰夫・秩父病院院長に聞く.pdf

 

私はこの十年以上、初期研修医が当院に来るようになって以来、彼らの言葉や態度にずいぶんと驚かされました。研修医達は私や当院の診療、地域医療の実際を体験して、びっくりしたことでしょう。多くの驚きを体験したようですが。私の方もその驚き自体に衝撃を受けました。「アッペて開腹するんですね、こんなにすぐ終わるのですか」「ルンバールでも手術は出来るんだ」「鎖骨下のCVなんて見たことない」「小児外科が無いのに、子供も手術するんですか」「外科医が麻酔をするんですね」・・・etc

「大学はどんな教育をしているんだ」「残した方が良いものを残して行ってもらいたい」「新しいものが総て良いわけではない」「70パーセントは進化しているとしても、30パーセントは退化しているんじゃあないか」・・・異次元の人たちと触れ合うに付け、それはそのまま彼ら、研修医への興味となり、彼らを指導する喜びに変わりました。ありのままの地域医療から、何かを掴み、医師として、人として少しでも広い視野を持つ医者になってもらいたいと願っています。

 

私のインタビュー記事に付、ネット上で、多くの意見を頂戴しました。ほとんどがご理解を頂いた内容で、励ましの言葉まであり、嬉しく思っています。有難う御座いました。ただ、採算のみを考えて夜間救急医療を縮小するのではないことをご理解頂きたいと思います。また、ネットでこの記事をご覧になった先生方より、励ましやら、ご心配(先生どうしちゃったの)やらのコメントを複数頂きました。

私と研修医達、院内、ヘリポートの風景写真も載っていました。つくづく自身の写真を見て、老けたなあと思いましたが、心情的には、言葉が発信する程の無力感と脱力感はありません。まだまだ自身で執刀する手術の無い日に感じる空虚感の方が強いようです。もう少し、外科医をやってみようと思っています。まだまだ今のところ元気です。有難う御座いました。

 

興味のある方は取材記事をご覧いただければ光栄です。


第117回日本外科学会定期学術集会

先のブログでも紹介しましたが、第117回日本外科学会定期学術集会で発表して来ました。

今回は4月27日(木)~4月29日(土)までの3日間、横浜で開催され、当院よりは大野哲郎先生、守麻理子先生の2演題が採用され、私は指定演者として発表しました。

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大野先生は「外科医主導で行う臨床研究―埼玉県秩父市における胃がんリスクABC検診―」守先生は「地域の中核を担う二次救急病院での外科医としての役割」ポスターセッションで発表しました。

大野先生の発表では秩父地域では、がん検診の受診率が低いこと、現状の透視検査診より診断度ABC検診(囲い込み検診)が、診断制度、効率、費用面において優れていることを訴え、臨床研究として当院独自の負担で行ったこの検診が、住民・自治体・医師会への啓蒙に通じ、いずれ自治体主導になることを期待したものです。

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私は、詳しい検証はしていませんが、当地域には胃がん、大腸がんとも進行、末期がんが多いことを肌で感じています。この発表が秩父地域のがん検診を進化させ、がんの早期発見に繋がることを祈っています。

守先生の発表は大変好評でした。発表態度も堂堂とし、内容も興味を持たれたようです。「外科医が行う救急医療」と言うジャンルは今なんとなく忘れ去られていると、私は感じています。救急は救急専門医の分野であって、今の外科の注目は専門特化、臓器別、鏡視下、様々なデバイスなどであります。そんな中で、斬新に映ったのではないでしょうか。また、病院併設のヘリポートの役割も理解されたようです。

私は、特に地域医療においては、外科医の役割の半分は救急外科医療と思っており、これがあたりまえの一般外科と思っています。

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さて、私ですが、光栄なことに、学会前夜に行われた、拡大プログラム委員会に招待されました。これは前夜祭と言えますが、豪華絢爛でありました。懐かしい「チューリップ」と言うバンドの生演奏、私と同年代のシンガーソングライター財津和夫さんの歌で盛り上りました。桑野博行会頭の素晴らしい企画でありました。

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私の発表はセッション5、特別企画 今こそ地域医療を考える

―都市と地方の外科医療と外科教育の格差を解消するにはーでありました。

これを受けて私は「研修医の視点に学ぶ格差解消への模索と地域医療の役割」と言う演題で講演しました。

特別セッションであり、会場は第1会場(メイン会場)・国立大ホールでした。さらに日本外科学会の専門医領域別講習セミナーであり、この受講は研修実績として外科学会専門医等の単位を取得できるため、大勢の聴講者が参加していました。

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私と基調講演の自見はなこ参議院議員を除き、座長の先生方はじめ演者は3人とも大学の著明な外科学教授でありました。そんな中で、一地方外科医が最後の演者として講演する機会を得て大変光栄に感じ、精一杯お話しさせて頂きました。私が常日頃より感じていること、この45年間地域医療にどっぷりとつかって来て堆積した外科医としての思い。今の外科教育に抱いている問題点、研修医の視点、若い医師達への期待。言いたいことはあまりにも多くありました。

大変幸運、贅沢な時間でありましたが、何か一方通行の訴えになったのではと反省しています。

願わくば、もっともっと時間がほしかった。今の若い外科医たち、大学の指導者達とディスカッションしたかった思うのは欲張りでしょうか。多少の消化不良、欲求不満は残っていますが、今後この経験と講演内容を、若い人たちの教育に少しでも生かして行きたいと思っています。

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研修医の視点に学ぶ格差解消への模索と地域医療の役割.pdf

(PDFにて発行しております。閲覧できない場合は「Adobe Reader」をご利用下さい。)


救急医療に対する今後の当院の方針

地域医療計画の中で、当院の方針は大きな進路変更はしないこととしました。ただ、救急診療については、来年度(平成30年度)より段階的に縮小させて頂きたいと考えています。

当院は昭和40年に救急告示医療機関となってより、昭和51年の二次救急夜間輪番システムにも最初から参加し、半世紀以上にわたり救急医療に携わってきました。もっとも、明治20年の秩父病院創立以来、普通の診療として当たり前のように救急医療を行っていたようです。私が秩父の医療に初めて関わった昭和48年ころには救命救急センターもなく、高次医療機関への円滑な搬送体制も確立していませんでした。その頃は地域の医療機関や医師同士が助け合いながら地域で完結すべく、懸命に努力していましたし、最近までそのように頑張ってきたつもりでいます。時代とともに医療は急速に進歩し、より専門化、高度化しています。これに伴い、患者や家族もより専門的で高度の医療を求めています。何より私自身も、患者にとって最良の医療を受けてもらいたいと痛切に思うのです。しかし残念ながら、現在に至っても、脳卒中や心筋梗塞等は対処できない状況は変わっていません。むしろ医療全般にわたり、地域内での治療可能な症例は少なくなっている、つまり秩父地域の医療は中央の進歩に対し遅れを取っていると言っても過言ではありません。個々の医師の能力についても、専門志向の医学教育の結果、守備範囲は縮小し、専門特化の傾向にあります。これは決して悪いことではなく、チーム医療が可能な状況であれば、より好ましいことであります。しかし、当地の救急医療の現状を振り返る時、時代とともに多くのジレンマを感じて来ました。6年前にヘリポートの併設を求めて、この地に移転したのも、心の叫びのようなものが起爆剤になったと思っています。

 

一方で、今は医療圏を超えた救急搬送体制も整い、救急救命士も充実し、救急現場でのトリアージ(現場での救急隊員による管外搬送の決定やドクターヘリの要請)も数多く行われるようになっています。

実際の夜間救急では、入院や緊急処置の必要のない軽症の患者が大半をしめます。当院の統計では夜間救急当番での入院数は、多少のバラツキはありますが、平均は2人弱と少数です。しかし、もちろん重症例もあり、対処不能例な場合は、転院搬送が必要となります。この転院搬送と入院や救急処置の必要な患者さんの対処に全エネルギーをつぎ込まなければなりませんが、これは本当に大変なことなのです。

一次救急という言葉がありますが、救急に一次なんてあるのでしょうか。軽症例(一次)は診療時間内に来てもらえば済むことであります。二次救急の現場にそんな余裕はありません。当地域には最も多い時で、二次救急病院が7病院ありましたが、今は様々な理由で撤退して3病院となりました。当院では原則一人の医師が夜間救急を担っています。来る患者はほとんどが担当医にとって専門外の患者であります。私自身も可能な限り自宅待機態勢を取り続けてきました。これを何年間続けて来たでしょう。私はこのことを誇りと思い、救急病院の使命とも思い「患者は絶対断らない」をモットーに自身にも当直医にもその覚悟を強いてきました。そろそろ、この理不尽ともいえる体制は段階的に私の代で終わりにしようと思っています。ただし、可能な限り、平日の昼間・診療時間内の救急患者受け入れは、引き続き救急告示病院としての責務を果して行ってもらいたいとも思っています。

今、私は秩父地域の救急医療の現状を冷静に判断し、自分の考えをリセットしようと思っています。仮に当院が二次救急を完全に辞退したとしても、より広域的な救急医療体制が確立している今、大きな混乱は起こらないでしょう。

得意分野に集中し、守備範囲外はより迅速に、より広域的に紹介・搬送する。これが患者にとって最も益のあることと思うのです。救急医療で大事なことは無理な地域完結でなく、適格なトリアージであると思うことにしました。地域完結を夢見てきましたが、今は無力感と脱力感、諦めの境地の中で、これが45年間、秩父の救急医療に関わって来て到達した、現時点での私の正直な気持ちです。

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秩父の救急医療における公的病院の役割

救急医療は社会保障と言う観点から、自治体の主導の基、豊富な人材と財源を投入し、自治体病院がより多くの責務を負って行くべきと考えます。「専門分野の拡大と適格なトリアージ」これが市民のとって最も有益、かつ望むところであろうと考えます。このことに税金が使われても、市民の誰しもが納得するでありましょう。現状のような一般会計よりの繰り入れも当然と思われます。

 

地域医療の中での当院の役割

公的財源のない民間病院としての当院の役割を考えると、得意な分野を伸ばすことに専念して行くことが、一番の地域医療貢献であると考えています。

それは、消化器疾患の診断と治療、歯科の充実であります。さらに、疾患予防と早期診断、内視鏡治療と鏡視下を含む手術の充実と考えています。特化した分野では地域完結を目指したいと考えています。

この目標に向かって、2016年度は設備投資と人材補強を行いました。

医療機器では麻酔器、無影灯、人工呼吸器、除細動器、上部・下部消化器内視鏡、手術室・内視鏡室に固定モニター、歯科診療台、ポータブル歯科診療器等の整備。

同時に複数の検査が出来るように、施設改装と人員配置・内視鏡室のセンター化が進行中です。

また、昨年度に引き続き、今年度も当院の臨床研究として、病院負担での胃癌・大腸癌に対するABC検診と便潜血検査を続ける予定です。

これらにより、具体的には、消化器癌の早期発見と内視鏡手術を含む根治治療が増えることを期待しています。「秩父地域から進行がんをなくそう」は夢のまた夢ではありますが、少しでもその夢に近付きたいと願っています。

歯科の分野では、小児を含む全身麻酔科での口腔外科が可能となりました。また、病院歯科として、内科的疾患を合併した患者さんの治療も可能であります。


40年ぶりの妙高・赤倉

私のスキー歴は優に60年を超えます。子供のころは何時も、あの川端康成の雪国で有名な湯沢でした。私の第二の故郷と思っています。

大学のスキー部を卒業した後、深雪(いわゆるバックカントリー)にハマりました。北海道の旭岳、立山、谷川、月山等、山スキーにも夢中になった時期があります。その頃のホームゲレンデが妙高・赤倉でした。小さな別荘に何時も私の家族と多くの友人が集まりました。

40年ぶりにここで滑りました。ここは日本1の豪雪地帯です。ゲレンデの脇には昔のように雪深いブナ林がのこっていました。しかし残念ながら、40年前の体力と気力はなく、滑走禁止の警告を無視して林の中に滑り込む勇気はありませんでした。

懐かしい別荘も雪に埋もれながらも、かろうじて残っていました。

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今も残るブナ林。

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40年前の私です。

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結婚式

3月の良き日、当院職員同士の結婚式に出席しました。友人、職場の同僚など、若い人たちが多く、二人の人柄がにじみ出た、とても素晴らしい結婚式でした。当院ではいわゆる職場結婚は多いかも知れません。院長としては嬉しいことです。

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プロフィール
秩父病院理事長 花輪 峰夫

秩父病院理事長 花輪 峰夫

人と人との触れ合い医療を実践し、患者さんから信頼され、スタッフが気概を持って、地域に貢献できる病院を目指します。

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