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花輪理事長の独り言

ちちぶ市報

久喜秩父市長の依頼を受け、平成29年9月の「ちちぶ市報」に「ちちぶの医療現場から」というシリーズの2回目として【救急医療の現状課の課題と将来について】のタイトルで寄稿させて頂きました。以下その全文を紹介します。

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救急医療の現状の課題と将来について.pdf

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夏至の夕暮れ時の悪夢の出来事

夏至に近い夕方、(17時20分)一人の患者さんが当院に自力歩行で来院しました。苦しそうではありましたが、その疾患の症状としては軽い方だったようです。背中が痛いとのことで、外来担当の先生が早速検査、CTにて急性大動脈解離、(stanford A)と診断しました。

さあ大変だったのはそれからです。

1、まず大学の救命救急センターに連絡

2、救命センターより心臓血管外科に回され病状説明。一旦電話を切り連絡待ち

3、ほぼ同時にドクターヘリ基地に連絡、受け入れ先が決定すればヘリ搬送可能との返事

4、他の救命救急センターに連絡、一旦電話を切り連絡待ち

5、しばらくして受け不可能の連絡

6、ドクターヘリ最終離陸時間は18時15分との連絡あり(日没:19時00分)

7、約30分後、大学の心臓血管外科より受け入れ不可能の連絡

8、再度ドクターヘリ基地より電話連絡。ヘリ搬送は時間切れとのこと

9、県立病院に依頼、収容不可能

10、川越の大学病院へ依頼、収容不可能、群馬県の救命救急センターを勧められる

11、群馬県の救命救急センターへ連絡、収容不可能。県内の2病院への依頼を勧められる

12、埼玉石心会病院へ電話依頼。結果、快くお引き受け頂く(6病院目)

13、19時30分(初診より2時間10分後) 私と研修医が同乗し当院を救急車で出発

14、20時30分 埼玉石心会病院到着

15、22時 当院帰院  約4時間30分の事件であった

 

その後患者さんの手術は無事終了。

7月初旬には退院となりました。

 

「救急患者のたらい回し」という嫌な言葉があります。一般には救急隊が患者を収容したものの、複数の病院に断られ、病院での診察までに長時間を要した状況のことを言います。秩父医療圏はこのたらい回しの率が、埼玉県で一番少ないのですが、これは我々地域の2次救急病院の努力と汗(冷や汗)の結晶と自負しています。

この事例は病院に収容したものの、この疾患を扱える高次機能病院への搬送受け入れまでに5病院に断られ、6病院目、初診から3時間10分後に専門病院に搬送できたというもので、いわば3次救急のたらい回しと言えます。許せない事です。

残念ながら秩父地域には、この患者さんのような大血管疾患、心筋梗塞、脳卒中等の疾患を治療できる医療機関はありません。

従って、対処不能な疾患では大学病院等にお願いすることになります。以前は今回のような事例は頻回にありましたが、近年は大学等のご配慮や救急搬送システムも充実してきており、このような事例は少なくなってきております。

そもそも、日本の救急体制は1次、2次、3次救急に分かれており、おおざっぱに言うと、1次は外来診療で済む程度のもの。2次は入院治療が必要となるもの(主に二次救急病院が担う)。3次は2次救急では対応できないもの。となっており、3次救急医療を扱う医療機関は救命救急センターとして、100万人に対し一施設が整備されています。従って埼玉県では人口700万人を超え、8施設の救急救命センターがあります。言ってみれば、我々2次救急病院と患者にとって最後の砦と言えます。

先に述べたように、秩父では、たらい回しの率が少ないのですが、それは取りも直さず、あらゆる患者さんを収容し、その中には対処できない患者さんも大勢いるということです。

救急医療をやって行く上で、最も大きな負担を強いられ、多大エネルギーを費やすのは、受け入れ病院を探すこと、そして患者を医師が付き添って送り届けることです。この事例での、受け入れ出来ない理由は、ICUが一杯、心臓血管外科医が不在、理由不明、でありました。

これだけは言いたいと思います。2次救急病院である我々は、患者を断りません。「少なくとも救命救急センター、3次救急を名乗っているなら、まず収容しなさい」と。「その上で、貴方たちが考え、他施設に紹介するなり、専門医の呼び出しをかけるなりすべきでしょう」私は消化管穿孔や出血等で緊急手術が必要な時、秩父にいる限りは、どんな時でも(たとえ酔っぱらっている時でも?)病院に出向きます。そう、我々と同じことをしてほしいのです。

 

埼玉石心会病院は立派でした。素晴らしい、の一言に尽きます。その後のご配慮、手術翌日の電話報告、お返事、手術の詳細等も丁寧で完璧でありました。当院もそうありたいものです。

埼玉石心会病院は11月には増床新築移転し、ヘリポートを併設、ドクターカーも整備すると聞いています。

今後同病院とは緊密な関係を築き上げて行きたいと考えています。私が同病院の救急外来に入った時、以前の当院のようなレトロな雰囲気と正に現場の空気を感じました。埼玉石心会病院には失礼ながら、当院と同じ匂いを感じます。目的と理念を共有できそうで、良い連携が出来そうな予感があります。本当に有難う御座いました。感謝に堪えません。


Internetサイトm3.comの記者さんから取材をうけました。

記者さんのお話では、前回のブログで紹介した、今年の4月に横浜で開催された日本外科学会定期学術集会での私の発表に興味を持ったとのこと。同時に、秩父病院と私にも興味を持ったのかも知れませんが、当院のホームページ、この院長ブログにも目を通して頂いたようで、5月のある日に取材をうけました。

記者さんは当院に来院され、大きく分けて二つの点を質問してきました。

 

一つ目は私のブログ「救急医療に対する今後の当院の方針」への質問でした。

この冒頭の「地域医療計画の中で、当院の方針は大きな進路変更はしないこととしました。ただ、救急医療については、来年度より段階的に縮小させて頂きたいと考えています」という私の考えに、おそらく現在厚労省が進めている地域医療計画に呼応してのことと、興味を持たれたのではと思っています。私は当地域の救急医療の経緯、現状をお話しし、今の私の正直な心境(ブログに書いた通り)をお話ししました。

 

6月23日記事が掲載されました。

Vol.1  夢見た地域完結の医療、「今は無力感と脱力感」.pdf

地域完結を夢見て来たことはその通りです。地域の医療機関が全体として一つの総合病院としての役割を果たす。それは最近の流行語ともいえる医療連携というより、地域内の医師同士の助け合いでありました。当院では専門外の手術であっても、地域内にその分野を得意とする医師が居れば、お互いに医師が出向き、あるいは大学等より専門医を招聘してやっていました。ある時期は秩父地域の脳卒中患者の90パーセントは秩父市立病院で治療できていました。現在でも当院では、解放病床、オープンシステムを維持し懸命に地域内で対処するべく努力しています。ただ地域内医療機関同士の連携は以前より少し希薄となってきた感じはあります。

さらに、医療の急速な進歩・変化と医師の専門医志向、地域内の病院の減少、個々の医師の守備範囲の縮小により、地域完結は今や正に遠い夢であります。しかしこれは自然の流れと受け止まるべきであり、無理な地域完結は宜しくないと思うのです。これからの地域医療は、より広域の地域完結を目指すべきでありましょう。そんなことは百も承知でこの45年間、救急をやって来ました。出来ないものはより迅速に高次医療機関にお願いする。私は、6年前にヘリポートがほしくて病院を移転しました。そろそろ機が熟したように思います。今後はさらに進化した広域的医療連携が必要です。より迅速、確実、簡単に成されなければなりません。なるほど、地域完結に夢破れた感はありますが、これは今始まった訳ではありません。その代り、今新しい助け合いの形を見つけつつあります。ヘリ搬送もその一つでありましたが、これはいずれご紹介します。

当院の今後や秩父地域医療の将来に失望した訳では決してありません。消化器疾患、歯科、健診等、得意分野はさらに充実させ、地域完結と病院内完結を目指してまいります。

 

二つ目は、先の日本外科学会定期学術集会で私が講演した内容に関連し、総合医を視野に入れた若手医師養成の在り方についてでありました。私は持論である「極端な専門医志向の弊害」とその対策としての地域医療・地域病院の役割についての私見をお話ししました。また、私の考えをまとめた発表論文、当院の医療連携会等の資料の幾つかをお渡ししました。その他、病院にとって研修医を受け入れる意義、研修医OB達を対象とした私塾「秩父花仁塾」のこと等の質問に答えさせて頂きました。初期研修医達への取材もありました。私は医師が成熟していく上で、地域医療の経験は必須であることを強調しました。

 

6月30日 記事が掲載されました。

Vol.2 「総合医の養成」は地域病院の使命―花輪峰夫・秩父病院院長に聞く.pdf

 

私はこの十年以上、初期研修医が当院に来るようになって以来、彼らの言葉や態度にずいぶんと驚かされました。研修医達は私や当院の診療、地域医療の実際を体験して、びっくりしたことでしょう。多くの驚きを体験したようですが。私の方もその驚き自体に衝撃を受けました。「アッペて開腹するんですね、こんなにすぐ終わるのですか」「ルンバールでも手術は出来るんだ」「鎖骨下のCVなんて見たことない」「小児外科が無いのに、子供も手術するんですか」「外科医が麻酔をするんですね」・・・etc

「大学はどんな教育をしているんだ」「残した方が良いものを残して行ってもらいたい」「新しいものが総て良いわけではない」「70パーセントは進化しているとしても、30パーセントは退化しているんじゃあないか」・・・異次元の人たちと触れ合うに付け、それはそのまま彼ら、研修医への興味となり、彼らを指導する喜びに変わりました。ありのままの地域医療から、何かを掴み、医師として、人として少しでも広い視野を持つ医者になってもらいたいと願っています。

 

私のインタビュー記事に付、ネット上で、多くの意見を頂戴しました。ほとんどがご理解を頂いた内容で、励ましの言葉まであり、嬉しく思っています。有難う御座いました。ただ、採算のみを考えて夜間救急医療を縮小するのではないことをご理解頂きたいと思います。また、ネットでこの記事をご覧になった先生方より、励ましやら、ご心配(先生どうしちゃったの)やらのコメントを複数頂きました。

私と研修医達、院内、ヘリポートの風景写真も載っていました。つくづく自身の写真を見て、老けたなあと思いましたが、心情的には、言葉が発信する程の無力感と脱力感はありません。まだまだ自身で執刀する手術の無い日に感じる空虚感の方が強いようです。もう少し、外科医をやってみようと思っています。まだまだ今のところ元気です。有難う御座いました。

 

興味のある方は取材記事をご覧いただければ光栄です。


第117回日本外科学会定期学術集会

先のブログでも紹介しましたが、第117回日本外科学会定期学術集会で発表して来ました。

今回は4月27日(木)~4月29日(土)までの3日間、横浜で開催され、当院よりは大野哲郎先生、守麻理子先生の2演題が採用され、私は指定演者として発表しました。

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大野先生は「外科医主導で行う臨床研究―埼玉県秩父市における胃がんリスクABC検診―」守先生は「地域の中核を担う二次救急病院での外科医としての役割」ポスターセッションで発表しました。

大野先生の発表では秩父地域では、がん検診の受診率が低いこと、現状の透視検査診より診断度ABC検診(囲い込み検診)が、診断制度、効率、費用面において優れていることを訴え、臨床研究として当院独自の負担で行ったこの検診が、住民・自治体・医師会への啓蒙に通じ、いずれ自治体主導になることを期待したものです。

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私は、詳しい検証はしていませんが、当地域には胃がん、大腸がんとも進行、末期がんが多いことを肌で感じています。この発表が秩父地域のがん検診を進化させ、がんの早期発見に繋がることを祈っています。

守先生の発表は大変好評でした。発表態度も堂堂とし、内容も興味を持たれたようです。「外科医が行う救急医療」と言うジャンルは今なんとなく忘れ去られていると、私は感じています。救急は救急専門医の分野であって、今の外科の注目は専門特化、臓器別、鏡視下、様々なデバイスなどであります。そんな中で、斬新に映ったのではないでしょうか。また、病院併設のヘリポートの役割も理解されたようです。

私は、特に地域医療においては、外科医の役割の半分は救急外科医療と思っており、これがあたりまえの一般外科と思っています。

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さて、私ですが、光栄なことに、学会前夜に行われた、拡大プログラム委員会に招待されました。これは前夜祭と言えますが、豪華絢爛でありました。懐かしい「チューリップ」と言うバンドの生演奏、私と同年代のシンガーソングライター財津和夫さんの歌で盛り上りました。桑野博行会頭の素晴らしい企画でありました。

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私の発表はセッション5、特別企画 今こそ地域医療を考える

―都市と地方の外科医療と外科教育の格差を解消するにはーでありました。

これを受けて私は「研修医の視点に学ぶ格差解消への模索と地域医療の役割」と言う演題で講演しました。

特別セッションであり、会場は第1会場(メイン会場)・国立大ホールでした。さらに日本外科学会の専門医領域別講習セミナーであり、この受講は研修実績として外科学会専門医等の単位を取得できるため、大勢の聴講者が参加していました。

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私と基調講演の自見はなこ参議院議員を除き、座長の先生方はじめ演者は3人とも大学の著明な外科学教授でありました。そんな中で、一地方外科医が最後の演者として講演する機会を得て大変光栄に感じ、精一杯お話しさせて頂きました。私が常日頃より感じていること、この45年間地域医療にどっぷりとつかって来て堆積した外科医としての思い。今の外科教育に抱いている問題点、研修医の視点、若い医師達への期待。言いたいことはあまりにも多くありました。

大変幸運、贅沢な時間でありましたが、何か一方通行の訴えになったのではと反省しています。

願わくば、もっともっと時間がほしかった。今の若い外科医たち、大学の指導者達とディスカッションしたかった思うのは欲張りでしょうか。多少の消化不良、欲求不満は残っていますが、今後この経験と講演内容を、若い人たちの教育に少しでも生かして行きたいと思っています。

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研修医の視点に学ぶ格差解消への模索と地域医療の役割.pdf

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救急医療に対する今後の当院の方針

地域医療計画の中で、当院の方針は大きな進路変更はしないこととしました。ただ、救急診療については、来年度(平成30年度)より段階的に縮小させて頂きたいと考えています。

当院は昭和40年に救急告示医療機関となってより、昭和51年の二次救急夜間輪番システムにも最初から参加し、半世紀以上にわたり救急医療に携わってきました。もっとも、明治20年の秩父病院創立以来、普通の診療として当たり前のように救急医療を行っていたようです。私が秩父の医療に初めて関わった昭和48年ころには救命救急センターもなく、高次医療機関への円滑な搬送体制も確立していませんでした。その頃は地域の医療機関や医師同士が助け合いながら地域で完結すべく、懸命に努力していましたし、最近までそのように頑張ってきたつもりでいます。時代とともに医療は急速に進歩し、より専門化、高度化しています。これに伴い、患者や家族もより専門的で高度の医療を求めています。何より私自身も、患者にとって最良の医療を受けてもらいたいと痛切に思うのです。しかし残念ながら、現在に至っても、脳卒中や心筋梗塞等は対処できない状況は変わっていません。むしろ医療全般にわたり、地域内での治療可能な症例は少なくなっている、つまり秩父地域の医療は中央の進歩に対し遅れを取っていると言っても過言ではありません。個々の医師の能力についても、専門志向の医学教育の結果、守備範囲は縮小し、専門特化の傾向にあります。これは決して悪いことではなく、チーム医療が可能な状況であれば、より好ましいことであります。しかし、当地の救急医療の現状を振り返る時、時代とともに多くのジレンマを感じて来ました。6年前にヘリポートの併設を求めて、この地に移転したのも、心の叫びのようなものが起爆剤になったと思っています。

 

一方で、今は医療圏を超えた救急搬送体制も整い、救急救命士も充実し、救急現場でのトリアージ(現場での救急隊員による管外搬送の決定やドクターヘリの要請)も数多く行われるようになっています。

実際の夜間救急では、入院や緊急処置の必要のない軽症の患者が大半をしめます。当院の統計では夜間救急当番での入院数は、多少のバラツキはありますが、平均は2人弱と少数です。しかし、もちろん重症例もあり、対処不能例な場合は、転院搬送が必要となります。この転院搬送と入院や救急処置の必要な患者さんの対処に全エネルギーをつぎ込まなければなりませんが、これは本当に大変なことなのです。

一次救急という言葉がありますが、救急に一次なんてあるのでしょうか。軽症例(一次)は診療時間内に来てもらえば済むことであります。二次救急の現場にそんな余裕はありません。当地域には最も多い時で、二次救急病院が7病院ありましたが、今は様々な理由で撤退して3病院となりました。当院では原則一人の医師が夜間救急を担っています。来る患者はほとんどが担当医にとって専門外の患者であります。私自身も可能な限り自宅待機態勢を取り続けてきました。これを何年間続けて来たでしょう。私はこのことを誇りと思い、救急病院の使命とも思い「患者は絶対断らない」をモットーに自身にも当直医にもその覚悟を強いてきました。そろそろ、この理不尽ともいえる体制は段階的に私の代で終わりにしようと思っています。ただし、可能な限り、平日の昼間・診療時間内の救急患者受け入れは、引き続き救急告示病院としての責務を果して行ってもらいたいとも思っています。

今、私は秩父地域の救急医療の現状を冷静に判断し、自分の考えをリセットしようと思っています。仮に当院が二次救急を完全に辞退したとしても、より広域的な救急医療体制が確立している今、大きな混乱は起こらないでしょう。

得意分野に集中し、守備範囲外はより迅速に、より広域的に紹介・搬送する。これが患者にとって最も益のあることと思うのです。救急医療で大事なことは無理な地域完結でなく、適格なトリアージであると思うことにしました。地域完結を夢見てきましたが、今は無力感と脱力感、諦めの境地の中で、これが45年間、秩父の救急医療に関わって来て到達した、現時点での私の正直な気持ちです。

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秩父の救急医療における公的病院の役割

救急医療は社会保障と言う観点から、自治体の主導の基、豊富な人材と財源を投入し、自治体病院がより多くの責務を負って行くべきと考えます。「専門分野の拡大と適格なトリアージ」これが市民のとって最も有益、かつ望むところであろうと考えます。このことに税金が使われても、市民の誰しもが納得するでありましょう。現状のような一般会計よりの繰り入れも当然と思われます。

 

地域医療の中での当院の役割

公的財源のない民間病院としての当院の役割を考えると、得意な分野を伸ばすことに専念して行くことが、一番の地域医療貢献であると考えています。

それは、消化器疾患の診断と治療、歯科の充実であります。さらに、疾患予防と早期診断、内視鏡治療と鏡視下を含む手術の充実と考えています。特化した分野では地域完結を目指したいと考えています。

この目標に向かって、2016年度は設備投資と人材補強を行いました。

医療機器では麻酔器、無影灯、人工呼吸器、除細動器、上部・下部消化器内視鏡、手術室・内視鏡室に固定モニター、歯科診療台、ポータブル歯科診療器等の整備。

同時に複数の検査が出来るように、施設改装と人員配置・内視鏡室のセンター化が進行中です。

また、昨年度に引き続き、今年度も当院の臨床研究として、病院負担での胃癌・大腸癌に対するABC検診と便潜血検査を続ける予定です。

これらにより、具体的には、消化器癌の早期発見と内視鏡手術を含む根治治療が増えることを期待しています。「秩父地域から進行がんをなくそう」は夢のまた夢ではありますが、少しでもその夢に近付きたいと願っています。

歯科の分野では、小児を含む全身麻酔科での口腔外科が可能となりました。また、病院歯科として、内科的疾患を合併した患者さんの治療も可能であります。


40年ぶりの妙高・赤倉

私のスキー歴は優に60年を超えます。子供のころは何時も、あの川端康成の雪国で有名な湯沢でした。私の第二の故郷と思っています。

大学のスキー部を卒業した後、深雪(いわゆるバックカントリー)にハマりました。北海道の旭岳、立山、谷川、月山等、山スキーにも夢中になった時期があります。その頃のホームゲレンデが妙高・赤倉でした。小さな別荘に何時も私の家族と多くの友人が集まりました。

40年ぶりにここで滑りました。ここは日本1の豪雪地帯です。ゲレンデの脇には昔のように雪深いブナ林がのこっていました。しかし残念ながら、40年前の体力と気力はなく、滑走禁止の警告を無視して林の中に滑り込む勇気はありませんでした。

懐かしい別荘も雪に埋もれながらも、かろうじて残っていました。

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今も残るブナ林。

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40年前の私です。

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結婚式

3月の良き日、当院職員同士の結婚式に出席しました。友人、職場の同僚など、若い人たちが多く、二人の人柄がにじみ出た、とても素晴らしい結婚式でした。当院ではいわゆる職場結婚は多いかも知れません。院長としては嬉しいことです。

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第117回日本外科学会定期学術集会(2017年4月27日~29日・横浜)に向けて

今回は当院より3演題を発表します。

守麻理子先生の「地域の中核を担う二次救急病院での外科医としての役割」

大野哲郎先生の「外科医主導で行う臨床研究ー埼玉県秩父地域における胃がんリスクABC検診ー」

私は光栄なことに、指定演者を依頼され、現在準備中です。

[セッション名] 特別企画5  

今こそ地域医療を考えるー都市と地方の外科医療と外科教育の格差を解消するにはー

演題名は自由とのことですので、色々と考えた結果、私は以下の演題としました。

以下抄録を紹介します。

研修医の視点に学ぶ格差解消への模索と地域医療の役割

Groping after Dissolution of the Differentials and Roles of Community Healthcare Learned from Trainees’ Perception

秩父病院外科 花輪峰夫 守麻理子 大野哲郎 山田正己

当院は秩父市にある52床の民間救急告示病院である。医療圏は県全体の四分の一を占め、人口約11万、圏内に高次医療機関はなく、対処不能症例の搬送には1時間を要し、都市と地方の医療格差を痛切に感じる環境にある。臨床研修制度発足以来、2大学、計8病院より約100人の初期研修医が地域医療研修を行っている。

今回の命題について、格差の最大の原因は医師の地域偏在であると考える。診療科偏在も問題である。今回我々は、都市と地方の優劣というより、研修医の視点からみた「違い?」に焦点を当て、格差解消の糸口を模索してみた。

研修レポートで「特に印象に残った大学と地域病院の違い」に注目した。主だった項目を整理すると①外来診療・外傷処置②初診から退院までの診療全体の流れ③手術と内視鏡を体験し、④手術時間の短さ⑤何でもやる外科医⑥外科医の麻酔に驚き、⑦患者と医師とスタッフとの距離の近さとチーム医療を知り、⑧夜間救急の当直医が外科内科を問わず小児科まで診ている⑨患者を断らない⑩スタッフ全員が地域医療を支えているという思いに感動した。⑪医師としての在り方⑫人生の楽しみ方を学んだ。⑬広い視野を持つ医師になりたいと思うようになった。地域偏在解消の第一歩は、若い医師達に早い時期から地域医療とその魅力に気付いてもらうことである。地方でこそ得られる自身の存在感、基本的手技、患者・家族との深い触れ合い。市民の生活に深く関わる地域医療は質と安全が担保されるべき医療の原点であり、外科医が成熟して行く上で欠かせない。外科医不足の原因も考えなければならない。多くの研修医から「救急か外科か迷っている。大学の外科では開腹できない、もっとダイナミックで外科らしい外科をやりたい」という趣旨の言葉を聞いた。彼らの多くは救急を選択した。一方で、進路を決めかねていた研修医の多くが外科に興味を示した。今の大学の極端な専門志向と鏡視下手術一辺倒の診療と教育が、彼らにとって魅力的であろうか。指導陣の意識改革も必要であろう。

今回、彼等の斬新な感性に触れ、地域病院と大学病院の根本的な違いと、それぞれの役割を改めて認識した。同時に、彼らから地域病院の役割を改めて気付かされた感がある。地域医療とは、地域を担うという気概である。格差解消には、今こそ都市と地方における医師の双方向の流れ、または循環システムを構築することが必要であろう。新専門医制度にも期待したい。

 

初期研修医の研修中の写真

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私は、一昨年の第40回日本外科系連合学会学術集会において

シンポジウム 2、外科系診療を取り巻く社会的問題の中で

「極端な専門医志向の弊害と対策・地域病院の役割」という演題で発表しました。

やはり私が自信をもって発信できることは地域医療に関わることと思っています。そして若い医師達が成熟していく上で最も重要なことは、広く医療の現状とあり方を知ること、つまり地域医療の経験は不可欠であると考えています。そんな訳で、今回の演題も研修医地域医療に関する演題名としました。座長の先生方、私以外の演者の先生方は大学教授の著明な方々でありますので、地域代表として精一杯話そうと思っています。

とても楽しみです。

 

研修医たちとバーベキュー

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今年も新蕎麦が打ちあがりました

病棟の裏の畑で蕎麦を栽培して初めてもう4年目になります。今年の蕎麦も良くできました。例年の如く、友人やお世話になった人たちにお送りし、食べて頂いています。好評です。

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蕎麦の花・蕎麦畑

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蕎麦畑と、花の子ハウスの子供たち

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「はぜ」の天日干し


平成29年外科医会新年会・講演会

外科医会は毎月行われていますが、毎年1月の新年会と7月の会には外部より講師をお呼びし、御講演を頂いております。

今回は先の山口茂樹先生にお願いしました。腹腔鏡下結腸、直腸手術全般を、大変きれいな動画と分かりやすい解説でお話し頂きました。

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その後は新年会・懇親会が行われ、本強矢先生からご提供頂いたフランスワインを満喫し、さらに二次会へと、楽しい酒を飲みました。

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研修医たちと記念撮影


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プロフィール
秩父病院理事長 花輪 峰夫

秩父病院理事長 花輪 峰夫

人と人との触れ合い医療を実践し、患者さんから信頼され、スタッフが気概を持って、地域に貢献できる病院を目指します。

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