花輪理事長の独り言
10月の瀬戸内海クルージング、ご一緒させて頂いた、ヨット「AO」「前名・波小町」のオーナーのお許しを得て、冨井氏作成の動画「喜望峰とAOに乗って」を投稿します。
何年ぶりの宿直か思い出せない。
秋晴れの日曜日の朝、土曜日の宿直をお願いしていた、医師会の先生と、申し送りを兼ねて、久しぶりにお話しした。
「ありがとうございました」「本当にありがとう」
午前中一杯、色々お話しをした。
私が一度臨床医を辞めた理由、知事や市長への提言のこと、医師会のこと、これからのこと。
午後は、病院の周りと敷地内の全てを何度も歩いた。
院内もグルグルと歩いて回った。
今病院の北側の楓が色づき始めている、荒川の対岸から見ても、はっきりとそれが分かるほど、輝き始めている。
2011年3月8 日、あの東日本大震災の3日前に開院式を行なった時、こんなにも木々が大きくるなんて、思ってもいなかった。
旧病院から移植した桜も銀杏も、小さかったユリの木も、泰山木も、何種類もの紅葉も、見上げる様に高く大きく育った。
ポピーも日光キスゲも、今咲き誇るコスモスも、毎年咲続けている。
夕方からは、10月の瀬戸内海クルージングのことをFBに書いた。
宿直室のベッドに入る前に病棟に行ってみた。
三人のスタッフが、意思の通じない超高齢者の看護、介護に悪戦苦闘していた。
「大変だなぁ」と心底思った。
「ありがたいことだ」「本当にありがとう」
50年以上医者をやってきて改めて感じた新鮮な気持ちである。
今更ながら思う。「病院って大変だなぁ」
今から又、臨床外科医を始めることにした。
やらない訳には行かなくなった。
周囲の環境も、自分の気持ちも。
患者さんの病状に、自分の心の全てが左右れる現場に耐えられるだろうか。
それから逃げたはずであった。
私の、この1年半の仕事「がん死の撲滅を目指す活動」と「地域の医師確保、埼玉県医師育成奨学金制度の公民の不平等」
必ずやり遂げると心に決めた。
「終わらない手術はない」
新鮮な24時間の宿直、今眠ることができれば、明日の外来もやれると思う。
朝、5時30分に目が覚めた。
昔を振り返ると、20〜40代の頃、週に1、2回の夜間当直は普通で、32時間以上の連続勤務はザラであった。
外来をやり、手術・検査をやり、当直・夜間救急をやり、又外来をやり、手術をやった。
外に出て、又歩いてみた。
6時30分、双子山の横から太陽が出た。
写真を撮りまくった。
日本一周クルージングのパート3を投稿します。
今回は、香川県の仁尾マリーナから大分県のマリンピアムサシマリーナまでです。
2023年10月2日
新幹線岡山駅から瀬戸大橋を走るJRとタクシーを乗り継ぎ、秩父より約8時間でマリーナ到着。
1日目(10月3日)
9時頃、地ビール目的ですぐそこの、六島に向け出航、思い出を作るためでは無く、一人でも無く、今回は4人、旧知の地元のベテランヨットマン、冨井氏が乗ってくださり、何から何まで、「おんぶにだっこ」の旅立ちでありました。
途中から、冨井氏の愛艇であった「波小町」、現在「AO」コンテスト48が加わり、2隻での「瀬戸内海そぞろ歩きの2隻6人旅」となりました。
六島は猫、地ビール、診療所の島。
アルコール7%ビールを自分用に買い込む。
酔いがまわりDrコトーに自分重ねて見ましたが、私には到底無理と分かりました。
最初の泊地は、弓削島海の駅。30分歩いた先の、丘の上のホテルの露天風呂は最高でした。
2日目(10月4日)
大島に寄り、村上水軍ミュージアム見学。能島付近の潮の速さ、厳しさを学ぶ⁉️絶対無理です。
大三島の井口港泊 桟橋より小あじ少々。
3日目(10月5日)
めっちゃ今風の自転車屋さん(めっちゃと言う言葉は世の中で一番嫌いな言葉)で、電動自転車を借り、しまなみ海道を走る。
レンタル屋さん、併設のコテージ、レストラン、素晴らしく、まさに、「めっちゃ族」好み。外人も沢山、アー時代変わった⁉️
私は意地で電動使用せず。(笑😆)
午後、AO合流、夕刻、生口島の非常に潮の流れの速い水道の通船桟橋に舫を取る。
山の上の国宝の三重塔を見学。しおまち商店街は風情が残っている。夕食はオーストラリアの若者達と隣り合わせで、お好み焼き。
4日目(10月6日)
巨大な造船所を眺めつつ、本土、竹原の海の駅に抱き合わせで舫を取る。すぐに古い街並み保存地区、竹原歴史資料館、ウイスキー作りのTBドラマ「マッサン」の生家等見学。
5日目(10月7日)
ヨットを生野島のフェリー桟橋に置き、大崎上島の白水港へフェリーで渡り、粋な小料理屋さんで、昼食(天丼)。
フェリーで船に帰り上鎌苅島泊。夜漁師料理民宿で、風呂と夕食、AO でワインをご馳走になる。キャビン内は、いかにも北欧の船らしく、チークの香り漂う、オーナーの気持ち満載の雰囲気。飲み過ぎ‼️
6日目(10月8日)
下蒲刈島に直行。この島はあまりにも綺麗な古い街並み、それ以上に資料館が整備されていた。その中では、船着場の石積みと木々に覆われた小山の斜面にある茶室を備えた当日の迎賓館?が、生の昔の匂いを感じ取ることが出来る。
見学を終え、泊地の呉クレイトン ベイ ホテルの海の駅に到着。すぐに、タクシーで中央フェリー桟橋へ、そして、江田島にある、冨井氏推奨の海上自衛隊第1術科学校へ。ここの見学許可は中々大変との由、感謝です。幹部候補生の凛々しさに少し安心した次第。
この日の夜、最悪の事態が起った。ラグビー、アルゼンチンに負けたのです。ヨットのテレビ受信に万全の準備をして臨んだのに、残念、残念‼️
急にテンションが下がりました。
7日目(10月9日)
今回の、当初の最終目的地、沖野島マリーナ向かう。ここは10年以上前に訪れたことあり、静かで自然に包まれた、日本で有数のヨットの泊地と、私は思っている。ハーバーマスターも喜望峰を覚えていた。あの時にやったバーベキューをやることにした。
今まで釣ってきた、アジとキス(タイは、また又釣れず)を加えて打ち上げをした。
夜光虫が紫色であった。
今回のクルージングでは、冨井様に大変なお世話をおかけしました。心から御礼申し上げます。
8日目(10月10日)
仁尾を出航当初の予定を変更、早朝6時出航、潮良く風、北東25ノット、艇速9ノット、14時過ぎに大分、マリンピアムサシ到着。
9日目(10月11 日)
飛行機で大分から羽田まで、僅か、1時間半。
窓から、離陸時、喜望峰3が見えた。あっという間に、瀬戸内海の島々、瀬戸大橋が眼下に見える。
この1時間半に、3回のクルージングの約1月が詰め込まれてる。人生もそんなものかな?^_^^_^
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