花輪理事長の独り言
夏至に近い夕方、(17時20分)一人の患者さんが当院に自力歩行で来院しました。苦しそうではありましたが、その疾患の症状としては軽い方だったようです。背中が痛いとのことで、外来担当の先生が早速検査、CTにて急性大動脈解離、(stanford A)と診断しました。
さあ大変だったのはそれからです。
1、まず大学の救命救急センターに連絡
2、救命センターより心臓血管外科に回され病状説明。一旦電話を切り連絡待ち
3、ほぼ同時にドクターヘリ基地に連絡、受け入れ先が決定すればヘリ搬送可能との返事
4、他の救命救急センターに連絡、一旦電話を切り連絡待ち
5、しばらくして受け不可能の連絡
6、ドクターヘリ最終離陸時間は18時15分との連絡あり(日没:19時00分)
7、約30分後、大学の心臓血管外科より受け入れ不可能の連絡
8、再度ドクターヘリ基地より電話連絡。ヘリ搬送は時間切れとのこと
9、県立病院に依頼、収容不可能
10、川越の大学病院へ依頼、収容不可能、群馬県の救命救急センターを勧められる
11、群馬県の救命救急センターへ連絡、収容不可能。県内の2病院への依頼を勧められる
12、埼玉石心会病院へ電話依頼。結果、快くお引き受け頂く(6病院目)
13、19時30分(初診より2時間10分後) 私と研修医が同乗し当院を救急車で出発
14、20時30分 埼玉石心会病院到着
15、22時 当院帰院 約4時間30分の事件であった
その後患者さんの手術は無事終了。
7月初旬には退院となりました。
「救急患者のたらい回し」という嫌な言葉があります。一般には救急隊が患者を収容したものの、複数の病院に断られ、病院での診察までに長時間を要した状況のことを言います。秩父医療圏はこのたらい回しの率が、埼玉県で一番少ないのですが、これは我々地域の2次救急病院の努力と汗(冷や汗)の結晶と自負しています。
この事例は病院に収容したものの、この疾患を扱える高次機能病院への搬送受け入れまでに5病院に断られ、6病院目、初診から3時間10分後に専門病院に搬送できたというもので、いわば3次救急のたらい回しと言えます。許せない事です。
残念ながら秩父地域には、この患者さんのような大血管疾患、心筋梗塞、脳卒中等の疾患を治療できる医療機関はありません。
従って、対処不能な疾患では大学病院等にお願いすることになります。以前は今回のような事例は頻回にありましたが、近年は大学等のご配慮や救急搬送システムも充実してきており、このような事例は少なくなってきております。
そもそも、日本の救急体制は1次、2次、3次救急に分かれており、おおざっぱに言うと、1次は外来診療で済む程度のもの。2次は入院治療が必要となるもの(主に二次救急病院が担う)。3次は2次救急では対応できないもの。となっており、3次救急医療を扱う医療機関は救命救急センターとして、100万人に対し一施設が整備されています。従って埼玉県では人口700万人を超え、8施設の救急救命センターがあります。言ってみれば、我々2次救急病院と患者にとって最後の砦と言えます。
先に述べたように、秩父では、たらい回しの率が少ないのですが、それは取りも直さず、あらゆる患者さんを収容し、その中には対処できない患者さんも大勢いるということです。
救急医療をやって行く上で、最も大きな負担を強いられ、多大エネルギーを費やすのは、受け入れ病院を探すこと、そして患者を医師が付き添って送り届けることです。この事例での、受け入れ出来ない理由は、ICUが一杯、心臓血管外科医が不在、理由不明、でありました。
これだけは言いたいと思います。2次救急病院である我々は、患者を断りません。「少なくとも救命救急センター、3次救急を名乗っているなら、まず収容しなさい」と。「その上で、貴方たちが考え、他施設に紹介するなり、専門医の呼び出しをかけるなりすべきでしょう」私は消化管穿孔や出血等で緊急手術が必要な時、秩父にいる限りは、どんな時でも(たとえ酔っぱらっている時でも?)病院に出向きます。そう、我々と同じことをしてほしいのです。
埼玉石心会病院は立派でした。素晴らしい、の一言に尽きます。その後のご配慮、手術翌日の電話報告、お返事、手術の詳細等も丁寧で完璧でありました。当院もそうありたいものです。
埼玉石心会病院は11月には増床新築移転し、ヘリポートを併設、ドクターカーも整備すると聞いています。
今後同病院とは緊密な関係を築き上げて行きたいと考えています。私が同病院の救急外来に入った時、以前の当院のようなレトロな雰囲気と正に現場の空気を感じました。埼玉石心会病院には失礼ながら、当院と同じ匂いを感じます。目的と理念を共有できそうで、良い連携が出来そうな予感があります。本当に有難う御座いました。感謝に堪えません。
記者さんのお話では、前回のブログで紹介した、今年の4月に横浜で開催された日本外科学会定期学術集会での私の発表に興味を持ったとのこと。同時に、秩父病院と私にも興味を持ったのかも知れませんが、当院のホームページ、この院長ブログにも目を通して頂いたようで、5月のある日に取材をうけました。
記者さんは当院に来院され、大きく分けて二つの点を質問してきました。
一つ目は私のブログ「救急医療に対する今後の当院の方針」への質問でした。
この冒頭の「地域医療計画の中で、当院の方針は大きな進路変更はしないこととしました。ただ、救急医療については、来年度より段階的に縮小させて頂きたいと考えています」という私の考えに、おそらく現在厚労省が進めている地域医療計画に呼応してのことと、興味を持たれたのではと思っています。私は当地域の救急医療の経緯、現状をお話しし、今の私の正直な心境(ブログに書いた通り)をお話ししました。
6月23日記事が掲載されました。
Vol.1 夢見た地域完結の医療、「今は無力感と脱力感」.pdf
地域完結を夢見て来たことはその通りです。地域の医療機関が全体として一つの総合病院としての役割を果たす。それは最近の流行語ともいえる医療連携というより、地域内の医師同士の助け合いでありました。当院では専門外の手術であっても、地域内にその分野を得意とする医師が居れば、お互いに医師が出向き、あるいは大学等より専門医を招聘してやっていました。ある時期は秩父地域の脳卒中患者の90パーセントは秩父市立病院で治療できていました。現在でも当院では、解放病床、オープンシステムを維持し懸命に地域内で対処するべく努力しています。ただ地域内医療機関同士の連携は以前より少し希薄となってきた感じはあります。
さらに、医療の急速な進歩・変化と医師の専門医志向、地域内の病院の減少、個々の医師の守備範囲の縮小により、地域完結は今や正に遠い夢であります。しかしこれは自然の流れと受け止まるべきであり、無理な地域完結は宜しくないと思うのです。これからの地域医療は、より広域の地域完結を目指すべきでありましょう。そんなことは百も承知でこの45年間、救急をやって来ました。出来ないものはより迅速に高次医療機関にお願いする。私は、6年前にヘリポートがほしくて病院を移転しました。そろそろ機が熟したように思います。今後はさらに進化した広域的医療連携が必要です。より迅速、確実、簡単に成されなければなりません。なるほど、地域完結に夢破れた感はありますが、これは今始まった訳ではありません。その代り、今新しい助け合いの形を見つけつつあります。ヘリ搬送もその一つでありましたが、これはいずれご紹介します。
当院の今後や秩父地域医療の将来に失望した訳では決してありません。消化器疾患、歯科、健診等、得意分野はさらに充実させ、地域完結と病院内完結を目指してまいります。
二つ目は、先の日本外科学会定期学術集会で私が講演した内容に関連し、総合医を視野に入れた若手医師養成の在り方についてでありました。私は持論である「極端な専門医志向の弊害」とその対策としての地域医療・地域病院の役割についての私見をお話ししました。また、私の考えをまとめた発表論文、当院の医療連携会等の資料の幾つかをお渡ししました。その他、病院にとって研修医を受け入れる意義、研修医OB達を対象とした私塾「秩父花仁塾」のこと等の質問に答えさせて頂きました。初期研修医達への取材もありました。私は医師が成熟していく上で、地域医療の経験は必須であることを強調しました。
6月30日 記事が掲載されました。
Vol.2 「総合医の養成」は地域病院の使命―花輪峰夫・秩父病院院長に聞く.pdf
私はこの十年以上、初期研修医が当院に来るようになって以来、彼らの言葉や態度にずいぶんと驚かされました。研修医達は私や当院の診療、地域医療の実際を体験して、びっくりしたことでしょう。多くの驚きを体験したようですが。私の方もその驚き自体に衝撃を受けました。「アッペて開腹するんですね、こんなにすぐ終わるのですか」「ルンバールでも手術は出来るんだ」「鎖骨下のCVなんて見たことない」「小児外科が無いのに、子供も手術するんですか」「外科医が麻酔をするんですね」・・・etc
「大学はどんな教育をしているんだ」「残した方が良いものを残して行ってもらいたい」「新しいものが総て良いわけではない」「70パーセントは進化しているとしても、30パーセントは退化しているんじゃあないか」・・・異次元の人たちと触れ合うに付け、それはそのまま彼ら、研修医への興味となり、彼らを指導する喜びに変わりました。ありのままの地域医療から、何かを掴み、医師として、人として少しでも広い視野を持つ医者になってもらいたいと願っています。
私のインタビュー記事に付、ネット上で、多くの意見を頂戴しました。ほとんどがご理解を頂いた内容で、励ましの言葉まであり、嬉しく思っています。有難う御座いました。ただ、採算のみを考えて夜間救急医療を縮小するのではないことをご理解頂きたいと思います。また、ネットでこの記事をご覧になった先生方より、励ましやら、ご心配(先生どうしちゃったの)やらのコメントを複数頂きました。
私と研修医達、院内、ヘリポートの風景写真も載っていました。つくづく自身の写真を見て、老けたなあと思いましたが、心情的には、言葉が発信する程の無力感と脱力感はありません。まだまだ自身で執刀する手術の無い日に感じる空虚感の方が強いようです。もう少し、外科医をやってみようと思っています。まだまだ今のところ元気です。有難う御座いました。
興味のある方は取材記事をご覧いただければ光栄です。
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