花輪理事長の独り言
今年(2015年)3月中旬頃、突然、母校の後輩でもある日本医科大学の消化器一般外科教授、内田英二先生より6月18、19日に東京で開催される第40回日本外科系連合学会学術集会に何か演題を出してほしいとの電話をもらった。内田先生が学会長を務めるとのことで、早速、守麻理子先生に「腹壁瘢痕ヘルニア術後再発症例に対し腹膜前パッチ被覆法が有効であった1例」の演題で応募するよう指示した。内田教授の教室には、すでに当院で研修を行った数人の初期研修医の先生方が入局して活躍している。また、2014年の秩父外科医会新年会に秩父にお出で頂きご講演をお願いしている。数日後、私にシンポジウムの演題発表と座長を務めてほしい旨の依頼があり、私は大変光栄に思い、お引き受けすることにした。しかし、シンポジウムのテーマは「外科系診療を取り巻く社会的問題」とのこと。何を話せば良いか困惑したが、色々と考えた結果、やはり私が普段より考えていること、と言うよりこの十年来頭にこびりついていることを訴えることとした。
以下が発表原稿であるが、演題発表の制限時間は発表7分、ディスカッション3分と短く、実際に発表したものは、この文章を五分の一位にそぎ落としたものです。
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発表も終わり、帰りの西武線特急の中で、今回の学会を振り返った。光栄なことに、学会前日の評議員会懇親会、加えて会場の京王プラザホテルの宿泊も招待とのことで、無銭飲食・宿泊であった。美味しいフルコースのフランス料理、ワインにも満足したが、学会長の内田英二先生、前教授で現日本医科大学学長の田尻孝先生始め多くの母校の先輩、後輩、他大学の先生達やその他の高名な先生方と歓談できた事は実に愉快であった。さらに、もう一つ感激したことがあった。それは三十数年前、私の学位取得の時大変お世話になった、当時日本医科大学第二外科学教室の主任教授であられた、庄司佑先生にお会いできたことである。先生は私のことを「花輪君か」と覚えていて下さった。頭脳清明、大変お元気であられた。
田尻学長や内田教授の挨拶で、この学会の最初の会長は初代日本医科大学第二外科学教室教授、あの斉藤漠先生、その後は庄司先生も務められたことを知った。そして今回の内田先生である。私のクラスは斉藤先生の講義を聞いた最後の学年であった。私は日本医科大学第二病院の外科に入局したが、この医局は第二外科の流れをくむものである。斉藤先生は学生にとっては大変怖い教授であり、日本の外科を背負って立っている憧れの外科医であった。斉藤先生の手術記録は正に芸術であった。なつかしい思い出に浸ることができた。
翌日の発表は言いたいことは伝わったと思っている。共同座長の先生はたまたま、今年の日本外科学会学術集会のディベートセクションで、私がフロアーから発言した時の座長であった。この時は、虫垂切除について「開腹か腹腔鏡か」の論戦形式の議論が行われ、「フロアーの中に看護婦さんと二人でアッペをやっていた時代の先生はいらっしゃいますか」との座長の誘導に、つい我慢できず手を挙げ、開腹・触診の重要さを訴えた。「手術とは正に字の通り、手はメス、手の平は鈎、指は精密なセンサー ・・・・」と。今回は私の発表について「長年実践をやってこられた花輪先生の心の叫びの発表でした」とのコメント、次演者の発言も「先生のおっしゃる通り」とのことで、構えていた私としては、肩透かしの感があったが、一方で、少し気合が入り過ぎていたのか、あるいは年齢のなせる圧力のようなものがあったのか、自分の年齢と立場を自覚した複雑な心境であった。一人二役の座長の方は若い先生方の励ましで終わった。
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