花輪理事長の独り言
元旦以来の投稿です。
昨年、12月25日、自分の76歳の誕生日以来、今日2024年3月19日まで、患者さんの気持ちを味わって来ました。1月に前立腺がんと診断され、加えて、心臓病の懸念もあり、憂鬱な日々が続きました。なので、中々FBに投稿する気になれませんでした。
全ての検査を終え、心臓の懸念も払拭され、治療法も決まり、無理やりスキーに行ったり、フィジカルトレーニングや長距離の犬の散歩をしたりして、また活動を始める意欲が少し出て来ました。
『がん死の撲滅を目指す会』を唱える本人が、萎える訳には行きませんから(笑笑)。
もっとも、この癌は、私が50年間、外科医として診て来た、消化器系のがんと比べると、比較にならないほど良性です。『それでも、患者は大変ですね』
神様が、『患者の気持ちを少しは味わいなさい』と諭してくれたのかも知れませんね。
患者として、多くの医師に診て頂いた事は、大変勉強になりました。
この間、アトムは驚くほど大きくなりました。ヤツの身体能力は凄いです。もっと凄いのは、イタズラです。なんでも壊します。なんでも食べてしまいます。
世界一頭が良いはずの、ボーダーコリー?
馬鹿なのか?ズル賢いのか?
私が嫌だと思う事はなんでもやります。
まだ、生後6ヵ月、仕方ありませんね!
久しぶりに以前の一時期、私の家で飼っていたフレンチブルのポン太が遊びに来ました。一見の価値あり、アップします。
『がん死の撲滅を目指す会』(仮称)
NPO法人を立ち上げるつもりで準備中です。
新年明けましておめでとうございます。
私の今年の最初の仕事は、ミューズパークまでアトムの散歩、フリスビーの練習、レオとジャックへ、昨年の報告から始まりました。
振り返って、
2022年3月、院長を退任以来、初めての環境の中で、何かに憑かれたように1年9ヶ月を過ごしました。
2022年11月25日
大野埼玉県知事と中屋敷県議会議長に「埼玉県の地域医療を守る会第一弾としての・埼玉県医師育成奨学金免除指定病院の変更」に関する要望書を賛同医療機関の賛同書を添え提出しました。
現在賛同医療機関は66施設を数えます。
2023年10月には、埼玉県医師会の「令和6年度埼玉県への施策並びに予算編成に対する要望書」には私どもの要望も含まれました。
2023年12月26日には、秩父郡市、1市4町の首長様方が連名で、埼玉県庁にて大野知事に、ほぼ同様の内容の「埼玉県医師育成奨学金制度の返還免除要件の一部改正に関する要望書」を提出して頂きました。
この制度の改正、変更すべきところは、一点、奨学金返還免除の要件が「公的医療機関での勤務・具体的には公的・公立7病院に限定されている」ことです。
今年度から実施される「医師の働き方改革」と相まって、地域の医師不足は確実に増悪するでしょう。この制度の目的の半分「医師の偏在の解消」からして、喫緊に見直されるべきです。地域医療の崩壊が目の前に迫っています。公民の差別、絶対に許せません。
2023年3月10日
北堀秩父市長と堀口市議会議長へ「がん死の撲滅を目指す会」から「がん検診の改善と受診率の向上に対する提言」を賛同者の名簿を添え提出しました。
現在、賛同者は700名を超えています。
多くの方々に直接、あるいは、メール、手紙、メッセージ、講演会、このFB等、私に出来るすべての手段で、「がんの怖さと検診の大切さ」をお話しして来ました。
市、広域の議員様方、同窓生、幾つかの団体、医療関係者の方々、市の関係部課の方々、勿論医師会と会員の先生方等、等。
結果、未だ目に見えた進展はありません。
ただ、その中で、秩父市議会の一般質問で数人の議員様方が、がんや検診、医療関係の質問をして下さいました。この事と胃がん検診と大腸がん検診が、ほんの少し前に進んだ?かも知れないことが、救いでしょうか?
『早く見つければ、がんではまず死にません』『予防出来るがんだってあるのです』
私事ですが、私は先のクリスマス、2023 年12月25日、76歳の誕生日に入院し、前立腺がんの検査をしました。
「がん」にも良い?悪いがあって、それぞれの癌により進行の速度、見つかり易さ、転移のし易さ、治療し易いもの、治るもの、更に予防出来るもの、逆に発見時には殆ど手遅れになっているもの等、様々です。
前立腺がんは良いものに入りますが、確定診断の検査は中々大変です。何ヶ所も針を刺し、組織を取る必要があります。私の場合、昨年中は血尿が続き、最悪の年末でした。酒も飲めず(嘘です)、患者さんの気持ちが少しだけわかった様な気がします。憂鬱な大晦日ではありましたか、がん癌と言っている本人が、進行がんとなったら、笑えません(笑笑😆)
私が手術した多くのがん患者さんの気持ちはこんなものではなかったに違いありません。くどい様ですか、今やがんは早く見つけれぱ、手術はやらなくてすむ場合が多いのです。
「がん死の撲滅を目指す会」の活動として、今年は具体的な対策を必ず進めます。
まず、今急速に増え続けている大腸がんに対して、便潜血検査の窓口を増やし、受診率の大幅な向上と市民と関係者の啓蒙を目指して行きます。
アトムはまだ生後4ヶ月、もう、自分の犬の死を見たくない。ヤツを看取る前には、せめてこの地域の大腸の進行がんの撲滅くらいはやりたいなぁ!
10月の瀬戸内海クルージング、ご一緒させて頂いた、ヨット「AO」「前名・波小町」のオーナーのお許しを得て、冨井氏作成の動画「喜望峰とAOに乗って」を投稿します。
何年ぶりの宿直か思い出せない。
秋晴れの日曜日の朝、土曜日の宿直をお願いしていた、医師会の先生と、申し送りを兼ねて、久しぶりにお話しした。
「ありがとうございました」「本当にありがとう」
午前中一杯、色々お話しをした。
私が一度臨床医を辞めた理由、知事や市長への提言のこと、医師会のこと、これからのこと。
午後は、病院の周りと敷地内の全てを何度も歩いた。
院内もグルグルと歩いて回った。
今病院の北側の楓が色づき始めている、荒川の対岸から見ても、はっきりとそれが分かるほど、輝き始めている。
2011年3月8 日、あの東日本大震災の3日前に開院式を行なった時、こんなにも木々が大きくるなんて、思ってもいなかった。
旧病院から移植した桜も銀杏も、小さかったユリの木も、泰山木も、何種類もの紅葉も、見上げる様に高く大きく育った。
ポピーも日光キスゲも、今咲き誇るコスモスも、毎年咲続けている。
夕方からは、10月の瀬戸内海クルージングのことをFBに書いた。
宿直室のベッドに入る前に病棟に行ってみた。
三人のスタッフが、意思の通じない超高齢者の看護、介護に悪戦苦闘していた。
「大変だなぁ」と心底思った。
「ありがたいことだ」「本当にありがとう」
50年以上医者をやってきて改めて感じた新鮮な気持ちである。
今更ながら思う。「病院って大変だなぁ」
今から又、臨床外科医を始めることにした。
やらない訳には行かなくなった。
周囲の環境も、自分の気持ちも。
患者さんの病状に、自分の心の全てが左右れる現場に耐えられるだろうか。
それから逃げたはずであった。
私の、この1年半の仕事「がん死の撲滅を目指す活動」と「地域の医師確保、埼玉県医師育成奨学金制度の公民の不平等」
必ずやり遂げると心に決めた。
「終わらない手術はない」
新鮮な24時間の宿直、今眠ることができれば、明日の外来もやれると思う。
朝、5時30分に目が覚めた。
昔を振り返ると、20〜40代の頃、週に1、2回の夜間当直は普通で、32時間以上の連続勤務はザラであった。
外来をやり、手術・検査をやり、当直・夜間救急をやり、又外来をやり、手術をやった。
外に出て、又歩いてみた。
6時30分、双子山の横から太陽が出た。
写真を撮りまくった。
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