花輪理事長の独り言
院長ブログ
その14
『さて、怒ってばかりいること、人に自分流を押し付けることは、年を取ったことの証拠である。「今の若い者は」と言う言葉は山本五十六長官も「禁句」と言っている。
彼はこうも言っている「苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが、男の修行である」
私はそろそろ耐用年数が切れかかっていることも、馬鹿さも若さもなくなりつつあることも自覚している。
振り返って、医者になってからここに至るまで、医師、病院の院長・理事長として私を支配して来た観念は『我慢』であった。㊸
孔子の言う「70歳の従心」は、私には到底無理である。こらえ性の無い私が、どうにかこの病院を維持して来たことが出来たのは、当然のことながら、周囲の支えがあったからである。
妻の支え、両親、子供達や孫という家族の存在があった。多くの人との触れ合い、友情、援助があった。平成30年7月現在、長女(福田千衣里)は秩父に孫(光志14歳)と住んでいる。次女夫婦(長谷川義朗・小百合)は私の自宅に隣接して家があり、二人の孫(さら5歳、慎之介1歳半)と暮らしている。長男(洋介)は実家に住み、この4月より歯科医師として秩父病院の勤務が始まった。3人の子供達と孫までもが、すぐ近くにいる。しかも、義理の息子を含む全員の子供達が秩父病院で医師、歯科医師として働いているのである。私にとってこれ以上の心の支えが他にあろうか。感謝しかない。
加えて、私の特技、「オンとオフの切り替え」がこれを可能にしたと思っている。この20年間、私が健康を保てたのは、犬達のお陰である。レオはレオンベルガーという犬種で、体重は85キロあった。一度座り込んだらテコでも動かなかった。6歳で前足に骨肉腫ができ、大手術と化学療法を行ったが、逝ってしまった。ジャックはゴールデンレドリバーとしては破格に大きく、その引っ張り方は強烈である。ポン太はフレンチブルで中型犬であるが、ダッシュ力は半端ではない。彼らたちとの毎日のミューズパークまでの散歩は私の足腰を保っている。本当にピュアーで可愛い奴らである。ジャックは新病院開院の年、生後3ヶ月で我が家にやって来た。従って、新病院と同じ年を重ねている。㉟
私は110記念誌に私はこう書いている。「25年間、私は常に走っていた。時には全力で、時にはフラフラと、時には立ち止まりたくなったり、リタイヤしたくなったが、振り返らずともかく走っていた。気持ちよく走ったこともあるが、どういう訳かゆったりと走った記憶がない・・・・どこまで走り続けることができるのか、正直言って私には自身がない。しかし、今までのような走り方でなく、もっとゆったりと踵を地につけて、大勢で励まし合いながら一歩ずつでも前に進むことができれば、どうにかこの小さな病院の歴史の中の自分の分担区間の次への中継点まではたどり着けそうな気がしている」と。今私は130周年記念誌の一ページをかきながら思う。「そうだよ、ゆったりとではなかったけれど、多くの人たちに支えられて、もう少しのところまで来たよ」「好きなことを好きなようにやって来ただけ」
孔子の言葉は、総てにおいて当てはまらなかったこれまでの私であるが、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」正にそう思う。
しかし、幸か不幸か、欲深く未熟な私には、未だ自分の道が見えない』
私の文献索引
① 昭和58(1983)年3月25日発行 医師会誌第2号「夢遊病者」
② 昭和60(1985)年10月30日発行 医師会誌第6号 「小笠原航クルージング航海記」(昭和60年6月5日~6月31日)
③ 平成元(1989)年7月10日発行 外科医会15周年記念誌「南の島の落とし物」(昭和61年 ヤップ島クルージング)
④平成元(1989)年10月6日発行 医師会誌第13号「イワナの話」
⑤平成3(1991)年7月1日発行 医師会誌第15号「ある日の夢」
⑥平成5(1993)年6月15日発刊 医師会誌第18号「福島先生へ」「親善ソフトボール大会」
⑦平成5(1993)年12月13日発刊 医師会誌第19号「夜明け考」
⑧平成6(1994)年7月15日発行 秩父外科医会20周年記念誌「水槽小話」
⑨平成6(1994)年8月5日発行 医師会誌第20号、「イルカからのメッセージ」
⑩平成9年(1997)年11月3日発刊 「秩父病院・百十周年記念誌」
⑪ 平成10(1998)年3月8日発刊 医師会誌第25号「第6回医療関係団体親善ソフトボール大会」
⑫平成11年(1999)年10月1日発行 秩父外科医会25周年記念誌「98年『喜望峰Ⅱ』クルージング」
⑬ 平成13(2001)年10月1日発行 医師会誌第30号 「岩田充先生を偲んで」「三上哲先生を偲んで」
⑭平成14(2002)年9月1日発行 医師会誌第31号「喜望峰Ⅱ日本一周クルージング(その1)」
⑮平成15(2003)年6月1日発行 医師会誌第32号「喜望峰Ⅱ日本一周クルージング(その2)」
⑯平成16(2004)年3月1日発行 医師会誌第33号「喜望峰Ⅱ日本一周クルージング(その3)」
⑰平成16(2004)年12月24日発刊 医師会誌第34号「喜望峰Ⅱ日本一周クルージング(その4)」―北前船の旅―」
⑱平成17(2005)年12月20日発行 医師会誌第35号「喜望峰Ⅱ日本一周クルージング(その5)―北海道の旅―」
⑲平成18(2006)年12月20日発行 医師会誌第36号「喜望峰Ⅱ日本一周クルージング(その6)-平成17年 秋 クルージング・帰航―」
⑳平成19(2007)年11月18日発行 医師会誌第37号「喜望峰Ⅱ日本一周クルージング(その7)ー突然の終焉、海と船への思いー」
*平成10(1998)年5月3日西伊豆松崎出航~平成17(2005)年10月14日に福島県のいわきサンマリーナに到着するまでの7年間の航海と回想を医師会誌に計7回にわたり連載させて頂いた。
㉑平成20(2008)年5月30日 連載を一冊にまとめた航海記発刊 「『喜望Ⅱ』私の日本一周クルージング航海記」
㉒平成16年(2004)年7月1日発行 秩父外科医会30周年記念誌「秩父外科医会30周年によせて」
㉓平成16(2004)年12月24日発行、医師会誌34号「父・花輪吉夫と整形外科」
㉔平成16(2004)年 埼玉県医師会雑誌661号「当院における胃切除後器械吻合(縫合)
㉕平成17(2005)年 埼玉県医学会雑誌第40巻第1号「幽門側亜全摘術における自動吻合器による再建(器械 吻合)の工夫」(第22回埼玉県外科集団会発表)
㉖平成18(2006)年、埼玉県医学会雑誌第40巻第2号「重積をきたし肛門外に脱出したS上結腸癌の1例(第23回埼玉県外科集団会発表)
㉗平成18(2006)年3月発行 埼玉県外科医会誌第25号 談話室「『知床』世界自然遺産に思う」
㉘平成19(2007)年3月発行 埼玉県外科医会誌第26号 挨拶「自己紹介」
㉙平成19(2007)年9月 消化器外科第30巻10号 通巻第375号 症例報告 ヘルス出版「食道胃、食道空腸吻合におけるダブルステイプリングテクニック『金属ワイヤー法』の経験」
㉚平成20(2008)年10月30日発行 日本外科系連合会誌第33巻5号「食道浸潤噴門癌に対し、左開胸開腹下にdouble stapling technique(DST)-金属ワイヤー法―にて食道胃吻合を施行した1例」
㉛平成20(2008)年11月5日発行 医師会誌第38号・群像2008「還暦外科医の呟き」
㉜平成20(2008)年11月5日発行 医師会誌第38号別冊 巻頭あいさつ「看護専門学校創立10周年を迎えて」
㉝平成21(2009 )年2月20日 秩父地域医療についての提言(20年度秩父地域医療協議会)
㉞平成21(2009)年10月 埼玉大学医療連携会で講演 「防災ヘリによる早朝夜間ドクターヘリ的運航の現状」
㉟平成21(2009)年12月25日発行 医師会誌39号「あいつの思い出」「ドクターヘリについての私見」
㊱平成22(2010)年12月25日発行 医師会誌40号 会長「はじめに」「分水嶺」「肉が大好き(草食系・肉食系)」
㊲平成22(2010)年12月31日発行 秩父外科医会35周年記念誌「アラ還の意地と欲」
㊳平成23(2011)年3月発行 埼玉県外科医会誌第30号 論説「地方病院の医師不足と専門医制度に思うこと」
㊴平成23(2011)年6月 埼玉医科大学医療連携会で講演 「秩父地域の災害・救急医療」
㊵平成23(2011)年12月25日発行、医師会誌第41号 会長「はじめに」「3・11その時あなたは」
㊶平成24(2012)年12月 MediCon.医療の最前線『秩父の山々に囲まれた緑豊かな「結界」」
㊷平成25(2013)年7月 DOCTORAES 郡市区医師会の現場を見てみよう
㊸平成25(2013)年12月25日発刊、医師会誌43号「『もういいかい』と『まあだだよ』のはざまで」
㊹平成26(2014)年1月発行 埼玉県外科医会誌 第33号、論説「地域医療を支えるための当院の取り組み」 談話室「地方外科医のボヤキ・嘆き・呟き」
㊺平成26(2014)11月 日本の元気な病院&クリニック 開放病床とオープンシステムで地域全体の」「総合病院化」を図る
㊻平成26年(2014)年12月号 DOCTOR’Smagagin「総合医養成こそ地域病院の使命だ」
㊼平成27年(2015)年3月発刊 埼玉県外科医会誌第34号 学術講演会 「第
29回埼玉県外科医会学術講演会」 談話室「夢の空中散歩」
㊽平成27(2015)年9月5日発行 秩父外科医会40周年記念誌「私の5年誌・病院移転から今」「極端な専門医志向の弊害と対策」(第40回日本外科系連合学会学術集会発表内容)「第29回埼玉県外科学会 学術集会(平成26年3月8日・秩父)
㊾平成27(2015)年12月25日、医師会誌45号、「定期学術集会に参加して思ったこと(特にアッペ・ヘルニアの腹腔鏡下手術と今後の私のライフワークについて)
㊿平成29(2017)年4月28日受付、日本外科学会雑誌 第119巻 第1号:92‐94、201 第117回日本外科学会定期学術集会 特別企画(5)「今こそ地域医療を考えるー都市と地方の外科医療と外科教育の格差を解消するにはー」
5、研修医の視点に学ぶ格差解消への模索と地域医療の役割
51 平成29(2017)」年 インターネットサイトm3.com
Vol.1 夢見た地域完結の医療「今は無力感と脱力感」
Vol.2 「総合医の養成」は地域病院の使命
52 平成29年(2017)年 秩父市報 9月号
秩父の医療現場から 「救急医療の現状の課題と将来について」
私の意固地な考えと愚痴、自身への叱咤激励と多少の期待、「私の20年」は遺言のようなものになってしまい、文献(駄文)の集積は私の遺稿集の準備の様相となってしまった。
私はそれで良しと思っている。もう我慢はしたくないと思う今日この頃である