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花輪理事長の独り言

院長ブログ

その7

『その3日後である。

平成232011)年311日 東日本大震災が起きた。

その時、私は新しい院長室にいた。そしてこう思った「なんだ、3日天下だったか」思わず、引きつった不謹慎な笑いが出た。

移転した地は荒川の河川敷に盛り土した土地であった。病院ごと崩れると思ったのである

停電、電子機器全てストップ、自家発電機作動、しかし、大きな問題は起きなかった。患者さん達を病棟の南側に移し、帰途についたのは午前3時、公園橋から見た真っ暗な街は幻想的であった。

 

病院移転に関わった全ての人たちが好意的であった。同級生はもちろん、栗原稔前市長、久喜邦康現市長はじめ、市、県、国の行政の方々、地権者の方々や地元の方々に多大なご支援を頂いた。特に、山根、内田、平野氏ら高校の友人の力がなかったら移転は出来なかったに違いない。奥村組と田口設計、地元業者の方々は採算を度外視し、私の期待以上の素晴らしい病院を作ってくれた。

ヘリポート併設の病院らしくない急性期病院、木造平屋病棟、患者・職員とも和む環境、そして人が集まる病院である。

株式会社ベルクの故原島功氏からはヘリポート建設に対し多大なご寄付を賜った。秩父臨床医学研究所長の栗原俊雄氏にも、さらに秩父正峰会理事長の吉田廣文氏や山根益男氏には記念樹を頂いた。改めて心より感謝申し上げる次第である。

旧病院は秩父神社のご加護のもと、その隣、宮側町の地で120年以上続いて来たのであるが、移転に際し、薗田稔宮司様よりお許しを頂き、敷地内、ヘリポートに隣接して御社「秩父妙見社」に鎮座頂いた。本当に有難いことである。また、秩父神社の「北辰の梟」にちなみ、ご神木の銀杏の木で作った梟と少女像を待合室の梁に据えた。病院と患者さん達に変わらぬご加護があらんことを祈りたい。

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当院は補助金と言う国民の税金と多くの方々のご好意とご苦労を頂いたことに一点も恥じることはない仕事を続けて来たと自負している。そして、今後も堂々とそれに恥じない貢献をして行きたいと、創立130周年を迎えた今、改めて肝に命じたいと思う』

今回はこれくらいで良かろうかい  チェストー!!!

 


プロフィール
秩父病院理事長 花輪 峰夫

秩父病院理事長 花輪 峰夫

人と人との触れ合い医療を実践し、患者さんから信頼され、スタッフが気概を持って、地域に貢献できる病院を目指します。

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