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その6
『平成21年6月11日、突然秩父市からこの交付金に関する書類を提示された。しかし、提出期限は非常に短く、当初、9月1日とのこと、急がねばならなかった。その時点で具体的なことは全く決まっていなかった。毎日々日、誰かと、あるいは、どこかと交渉を続けた。総てが二転三転した。道路等インフラ整備の問題、秩父市、地権者への説明、大手スーパー会社との交渉等々。当初は現在の場所でなく、金仙寺に隣接する北側の土地が候補に上がった。和尚様にも快諾して頂いた。何種類かの設計図を作ってもらった。6月24、現状の土地に移転する構想を決め、さらに具体的な交渉に入った。市の担当者から提出期限は7月28日と通告があり、無理は元より承知、どうにか概略の書類を作り上げ間に合わせた。8月10日地権者と契約する。その後、基本計画が作成でき、さらに、友人の株式会社・奥村組の内田氏が紹介してくれた、田口継道建築設計事務所により、基本設計が出来上がって行き、軌道に乗ったかに見えた。ところがである。平成21(2009 )年8月末に行われた衆院選挙で自民党から民主党に政権交代。定住自立圏構想の継続が不透明との情報が入った。この構想そのものがなくなるかも知れない。
不安は募ったが、元々、補助金を期待して移転を考えた訳ではなかったと、自分を納得させ、粛々と計画を進めて行った。10月、近隣説明会 12月病院開設許可申請。とは言え、一旦甘い夢を見たのであるから、様々な思いがよぎった。友人たちは「止めるなら今しかない」と気遣ってくれた。
12月31日、私は迷っていた。もしも補助金が出ないなら、じっくりと、改めてやり直すこともあり得るかも知れない。正月中考え抜いた。
『一時は定住自立圏構想そのものがなくなるかも知れなかったが、先生の計画が評価され、民間への交付金制度もかろうじて残った』と関係者から聞かされた。これを聞き、私は今までにない喜びを感じた。初めて、公が私のやって来た事と、今、やらんとしている事を社会性、公益性のあるものと認めたと感じたからである。その時、交付金の額は、もはやどうでもよかった。ただただ嬉しかった。結果として交付金は当初の半額となったが、ご援助頂けたのである。ありがたいことであった。この時より、この計画に対する確信と勇気が生まれた様に思う。
平成22(2010)年1月確認申請。2月27日地鎮祭、新病院工事着工。
平成23(2011)年1月 新病院引き渡し。2月 医療機器搬入
平成23(2011)年3月5日 病院開院式。
3月7日入院患者さん搬送
平成23(2011)年3月8日 開院・診療開始
地鎮祭、開院式には多くの方々にご来席を賜った。(この時の式次第等は別に記念誌に残す)
地鎮祭で江利川毅さんが読んでくれた句「決断の人へ祝詞のあたたかき」は本当に嬉しかった』
今回はこれくらいで良かろうかい チェストー!!!
| 更新時間 : 2018年9月 1日 14:24