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その5
『休校になった東高校、秩父セメント社宅周辺、現在移転した影森の浦山ダム埋め立て地が候補に挙がった。その後、秩父太平洋セメント第Ⅰ工場跡地や第2工場周辺も浮上した。
埼玉県では、平成19(2007)年10月よりドクターヘリの運用が開始され、
平成21(2009)年7月より防災ヘリのドクターヘリ的運用も開始し、365日24時間ドクターヘリによる患者搬送体制が整えられた。平成21(2009)年2月の労災事故では、私と岡部先生、当院のスタッフが真っ先に救出に当たったが、その後のヘリ搬送が功を奏した。㉞㉟
私はこのシステムの整備には当初より関わり、県知事や埼玉医大丸木理事長への要請等に腐心した。しかし、平成22(2010)年7月、埼玉県防災ヘリが山岳遭難者を救助中に墜落、5人が亡くなった。以後、防災ヘリのドクターヘリ的運用は低迷のやむなきに至るのである。㊴
平成19(2007)年当時、私は病院移転を考え出した時から、病院併設のヘリポートを作ろうと真剣に考えていた。それには広い土地が必要である。もっとも気に入ったのが、現在の影森の土地であった。120年以上続いて来た旧病院は秩父市のど真ん中、秩父神社のすぐ隣で駅にも近い。一方は郊外の河川敷の埋め立て地。土地の価値としてもアクセスも雲泥の差である。それでもヘリポートが欲しかったのである。屋上ヘリポートも考えたが、ヘリポートを併設可能な広く安全な土地と言う意味から、秩父太平洋セメント第1工場跡地と現在の土地に絞られて行った。平成20(2008)年に入っても並行して土地確保作業を続けた。ところが次から次へと様々な難題に直面した。工場跡地は様々な理由、(土地改良・会社の意向)等により消え、第1候補の影森の土地は広大で2万坪以上あるが、多数の地権者がおり、いずれ大手スーパー企業が進出するとのことで、多くの地権者が手付金を受け取っており、スムースには行かない。また、当時、行政は地元商店を守る意味から大店舗の進出を嫌い、インフラ整備には消極的で、地権者との折り合いも芳しくなかった。2万坪の土地のどこを借り受けるかも問題であった。
その頃、私は自院の移転と同時に、自分の頭の中で、この地に100床を超える規模のリハビリ施設等を誘致し、「医療福祉の里」ができないものかと真剣に夢見ていた。秩父地域にはこの分野も足りないのである。何度か複数の山梨の大規模リハビリ病院を見学に行った。埼玉医大第1外科教授の尾本良三先生を通じ、丸木清浩理事長にも何度かお願いした。前市長の栗原稔氏にも私の構想をお伝えし、ご協力をお願いした。私は秩父地域にとっても、埼玉医科大学の今後にとってもこの構想は大変有益と考えていた。しかし残念ながら、これは実現されなかった。
頭を切り替え、自身の病院移転に集中した。
ちょうどその頃、正にタイムリーと言う他ないが、平成21(2009)年度に総務省の定住自立圏構想が開始され、秩父市がその中心市に指定されたのである。
この結果、補正予算として、定住自立圏等民間投資促進交付金が予算化され、幸運にも当院の病院新設移転計画に交付金が支給されるかも知れないという状況が生まれたのである。この交付金は「あと一歩」で実現が期待される民間の取り組みを支援し、圏域全体の暮らしに必要な都市機能等を確保するため、国から交付を受けた都道府県が民間投資に係る初期費用の助成を行うというもので、対象事業は医療・福祉の充実、地域公共交通の充実等4分野であった。
交付金は総事業費の40〜50%と知らされた。千載一遇のチャンスであった。
ここで定住自立圏構想について触れておく。『地方から東京など大都市圏大都への人口流出を抑制するため総務省が推進する施策で、人口5万人程度以上で昼間人口が多い(昼夜間人口比率が1以上)都市が「中心市」となり、生活・経済面で関わりの深い「周辺市町村」と協定を締結し、定住自立圏を形成。中心市が策定する定住自立圏共生ビジョンに沿って、地域全体で、医療・福祉・教育など生活機能の強化、交通・ICTインフラの整備や地域内外の住民の交流、人材育成など人口定住に必要な生活機能の確保に取り組む』というものである。
秩父市が「中心市」に指定されたきっかけは、山根氏の関係で、当時自治大学校校長の椎川忍氏を秩父に招いて、地域活性化等についてのご講演を頂いたのが最初と聞いている。その後何度か秩父に来ていただいて、ご講演をいただいたようである。私も移転に際して、ヘリポートの併設、ドクターヘリの実際等について、椎川氏と東京消防庁の専門官の方にアドバイスを頂いた事もあった。そんな経緯の中で、秩父市は中心市に立候補、めでたく「中心市」に指定されたのである。平成21年3月からは総務省より、高橋範充氏が秩父市に派遣された。平成21(2009)年4月の秩父市市長選挙において、久喜邦康市長が誕生した。
私は、久喜新市長に定住自立圏構想に付いて、私の知る限りの知識を話し、また移転構想についても協力をお願いした』
㉞平成21(2009)年10月 埼玉大学医療連携会で講演 「防災ヘリによる早朝夜間ドクターヘリ的運航の現状」
㉟平成21(2009)年12月25日発行 医師会誌39号「あいつの思い出」「ドクターヘリについての私見」
㊴平成23(2011)年6月 埼玉医科大学医療連携会で講演 「秩父地域の災害・救急医療」
今回はこれくらいで良かろうかい チェストー!!!
| 更新時間 : 2018年8月31日 08:57