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2015年5月
久しぶりに「秩父病院だより」を書いた。前回の43号に豪雪のことを書いてより1年経過してしまいました。今回2015年春号(N0.44)に「秩父花仁塾」と題して、「地域医療を担える医師の育成をしたい」具体的には「専門性を併せ持った総合医が目標である」と書きました。そして、「私の考える『総合医』については、当院ホームページ・院長ブログをご覧いただきたい」と記しました。そこで『総合医』について、現時点での私の考えを改めて書き留めておきたいと思います。
現在、「総合診療専門医」が注目されています。新専門医制度の発足により、2017年度に刷新される専門医認定制度が明らかになり、基本領域に「総合診療専門医」が加わり、19領域となると言うことです。これは超高齢化社会では、複数の病気を抱えた患者が増え、そのため従来の臓器別診療体制では適切に対応できないため、よくある病気の基礎的な診療を万遍なく行い、必要に応じて専門医につなぐ、縦割りの診療科の弊害を取り除くための医師の養成が目的のようであります。さらに地域の事情に合わせた対応も行い、医療多職種との連携、包括ケアシステムのリーダーとしての役割も期待されているようです。研修期間は3年、資格認定は20年度からとのことであります。
私はこの考えには70%は賛成でありますが、私の考える総合医とはだいぶイメージが違います。単にコーディネーター的役割を担うのではなく、得意分野を持つことが必要であると考えます。人間でいうなら背骨みたいなものが必要です。
超高齢化社会を迎え、「総合診療専門医」の必要性は理解できるところでありますが、私の考える総合医とは大分イメージが違います。基本診療科研修に外科はなく、小外科、外傷は救急医療研修で行うとのことですが、私は一般外科の研修は必須と思います。
総合医は3年程度で養成できるものでなく、生涯教育の範疇とも言えます。少なくとも10年以上のスパンで考えるべきでしょう。最も重要なことは、指導者の意識・考え方・教育方針であります。「温故知新、故きを温ねて新しきを知れば、以って師と為るべし」は指導医の絶対条件と考えます。
「専門性を併せ持った総合医・器が大きく、懐が深く、成熟度の高い医師」が理想でありましょう。具体的には外科系、内科系というより「地域医療を担うことの出来る医師、その地域、置かれた立場で役に立つ医師」の養成であります。それは、その地域の状況や医療環境により、救急医、総合内科医、一般外科医等が考えらますが、これらの基本領域専門医を併せ持ってこそ、総合医と言えるのではないでしょうか。
| 更新時間 : 2015年5月21日 11:42
しばらくブログを書きませんでした。というよりとても書く気持ちにならなかったと言う心境でありました。人は感情に左右されます。情けないもので、私も例外ではなく気分が乗らなかった訳です。なぜかと言うと以下の理由がありました。
当院では昨年の春に東芝製の80列CTを導入し、CTC、血管3D撮影等、大変活躍しています。そろそろ、冠動脈CTも始めようと言うことになり、平成27年2月5日、試験台のつもりで検査施行。造影剤注入は左程の違和感もなく、無事終了。私は元来除脈なので問題なし。ところが、左冠動脈前下行枝に石灰化と狭窄所見あり。そこから憂鬱な日々が始まりました。埼玉医科大学国際医療センター心臓内科の西村教授にご相談申し上げ、2月26日大学にて負荷心筋シンチ施行。結果現状ではCAGの必要なく、バイアスピリン等の投薬にて経過観察となりました。その後、3月13日血便あり。3月18日CF、CTC施行。多発憩室と小ポリープのみ、出血部不明。現在とりあえず一段落で、以前のように、朝の犬の散歩と筋トレ、腹八分目を意識し多少のダイエットに取り組んでいます。普段から私は「もうやることはやって来たので、何時逝ってもいいさ」と嘯いて来たのに、何とも情けない話でありました。患者さんの心境が多少理解できた出来事でもありました。
この間、普段ならブログに紹介するべき様々な事がありました。
2月8日は大学のスキー部のOB戦がありましたが、気力喪失で欠席しました。今シーズンは3度職員を連れてスキー、スノボ日帰り旅行を行い、今年は絶好調でレースを楽しみにしていましたが、本当に情けない話です。
2月22日は埼玉県医学会総会で大野哲郎先生が「Mini Loop Retractorを用いた単項式腹腔鏡下胆嚢摘出術」、守麻理子先生が「当院におけるヘリ搬送の現状」を発表しました。
いずれも立派な発表で会場からは、当院ヘリポート設置について、「住民の反対等、ご苦労したことはありませんか」との質問がありましたが、私から「近隣の方々も理解し賛同してくれました」とお答えしました。
今年の2月、3月は例年になく手術が多く、何かと多忙で、さらに天候も不純で晴れの日は少なく、ただ寒く、精神的に本当に苦しく、疲れた時期でありました。
3月12日、人間ドック学会病院機能評価 情緒不安定の為、院長としては結構居直り的発言。
3月17日、父命日で墓参り、「どうぞ守って下さい」などとは言わず「そろそろ行くかも知れない」と父に報告
3月21日、兄命日。初めて御殿場にある、「チームルマン」の工場と「花輪知夫記念館」を見学。
兄の最後の入院闘病を思い出つつ、「兄は大したものだったのだ」としみじみ回想する。「彼こそやれることはやった。十分生きた」と勝手に思う。
その後、ヨット事始め、伊豆へクルージング。しかし、北西強風のため、日程を切り上げ、逃げるように帰港。4月に入っても寒い日が続きましたが、木々は多少芽吹きが遅れたものの、確実に春を迎え、これに伴って、私も徐々に平常心をとりもどしました。
4月17日、18日は名古屋の国際会議場で行われた、日本外科学会定期学術集会に出席。昨年の大野哲郎先生に続いて今年は17日に守麻理子先生が「当院における腹壁瘢痕ヘルニア手術法の検討」を発表しました。
当院の手術法は前腹膜スペースにパッチを置き補強するという方法ですが、質問は「上腹部の場合は剥離が困難ではないか」との予想されていたもので、「困難な場合は腹直筋後鞘と腹直筋の間に置く」と答えました。
その後は会頭講演を聞き、昼食は守先生の勞をねぎらい、老舗の「ひつまぶし」をごちそうしました。昼食を取りながらふっと思ったことは、「当院の演題が良く通ったものだと」ということです。日本外科学会の演題はなかなか通らないものです。しかし、腹壁瘢痕ヘルニアの演題のほとんど総てが、腹腔鏡に関するものでありましたので、当院の演題は貴重であったのではと思いました。そして、改めて素晴らしい方法であることを確信した次第です。
今回の学会のメインテーマは「メスの限界を求めて」でありましたが、一般演題は鏡視下手術に関することが大半を占め、その手技や成績を発表したものが多かったように思いました。しかし、私の学会全体の印象は、反面、行き過ぎた鏡視下手術への反省や再検討の雰囲気もあった様に思います。
そんな中で、面白かったのは、ディベートセクションで、ヘルニア・アッペでの「腹腔鏡VS開腹」でありました。それぞれを「良し」とする二人の演者の対決方式でありました。それぞれの言い分に納得できたこと、双方のスタッフや医療環境が違ってかみ合わないこと、何を言っているのかと呆れたこと等、大変興味深く聞き入りました。ディスカッションは若手医師の教育におよび、双方とも視野のことにこだわり、その優位性を主張しました。
最後に司会の先生から「フロアーからの発言はありますか」「フロアーには看護婦さんと二人でアッペをやっていた時代の先生方もおられると思いますが、何かご意見は」との挑発的言葉を聞いた時、どうにも我慢ならず私は反射的に手を挙げました。そして以下の発言をしました。
「先ほどより興味深く拝聴させて頂きましたが、ディベートですので申し上げます。手術とはその字の通り、手で行うものです。診断に置いても、手の感覚、触診は必要です。また指はメスともなり、鉗子、鉤ともなります。是非とも、特に若手医師の教育にはお忘れなき様お願いします」
会場は一瞬シーンとしてしまいました。私はその瞬間「空気を読めない」ことを言ってしまったと感じ「しまった」と思いました。最後の発言でもあり、セクションの総括の様な雰囲気になってしまったか、あるいは私の言い方・発言が、かなり挑戦的であったためなのかも知れません。実際、「何を馬鹿なことを言ってるんだ」と思っていたので、結構気合は入っていました。しかし、すっきりしたことも確かです。そのセクションが終わった後に、以前に当院に勤務していたことのある外科医が駆け寄ってきて、「先生の気持ちが込められたお話しでした」と顔を紅潮して私に話しかけて来ました。私は何かもやもやしていた雲が晴れたような気持ちになり、学会に参加して良かったと正直思いました。それまでは、私にとって「若い異次元の医師集団が何だか勝手に騒いでいる」という違和感があったからです。昔のやっていたことが総て悪いことと思っている人は経験が貧弱な人、先進医療が総てと思っている人は基礎のない人です。手法・技術を貫徹するために患者がいるのではありません。本末転倒を感じた学会でもありました。
連休の前に西伊豆で釣り三昧を楽しみました。獲物はキダイ、カサゴ、アマダイ、食材はアシタバ、新じゃが、新玉ねぎ、数種類のハーブで、刺身、ブイヤベース、カルパッチョ等、西伊豆松崎マリーナの浜田氏が腕を振るってくれました。過去最高の美味でした。
春の草木が病院をカラフルに彩ってくれています。
是非こちらもご覧ください⇒当院の草花・植栽・菜園
| 更新時間 : 2015年5月11日 17:34