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花輪理事長の独り言

花輪の独り言・第一報

令和4年(2022年)4月1日(エイプリルフール)、東海道五十三次徒歩一人旅に出かけました。

50年以上やってきた医者。私は今までに、60歳、65歳、70歳になった時、周囲に医者を辞める、辞めると言い続けて来ました。東京オリンピックの開催が決定した時、今度こそと思い『東京オリンピックが終わったら医者を辞める』とスタッフ達に広言しました。オリンピックはコロナで1年延期となり、加えてコロナ対策のため、私の辞任も伸びました。

それでも外科医の仕事、特に手術への執着は簡単には振り払えずにいました。今まで、手術のない自分は考えられませんでした。勿論、手術は今でも十分にできます。しかし、一方で、術後の患者さんの容態に自分の気持ちが100%左右されることに耐える気力は失せつつありました。精神的に臨床外科医としての限界を感じて来ていました。余力のあるうちに次の何かを見つけたいとも思いました。なんでも良い、私には区切りが必要と思いました。そして自分の今の体力を知る何かに挑戦してみたいと考えました。

そして、昔の人が普通に歩いた道を歩くことにしました。

仕事からの解放と未練の狭間で、自分では『医者の卒業旅行』かつ『次の生き方を探る旅』と位置づけ東海道を歩くことにしました。

多少の準備として自転車での札所巡り、病院への徒歩通勤、メディカルフィットネスでの訓練をやりましたが、1日せいぜい15キロがやっとでした。ダメならすぐ止めることも考え、エイプリルフールの出発としました。私に取って、リスクという点では山や海・空から比べれば問題ないことです。

4月1日 東京に住む長女と孫、犬のポンタに見送られ、日本橋を出発しました。

この時はダウンジャケットの上に雨合羽上下の出で立ちでした。悪戦苦闘、辛くも面白い、我慢、我慢の旅でした。初めて体験、コロナの災い、腹の立つこと、戸惑うこと、嬉しかったこと、勉強になったこと、自分を含めバカじゃないかと思ったこと、磯部餅と甘酒がこんなにうまかったことに気づいたこと、雨の中ただ黙々と歩きゾーン(ある世界)に入りそうになり、顔の雫が涙か雨か?分からなくなったこと、外科医としてウクライナまたはモスクワに行こうと思ったこと。

結局28日間、2日は停滞したので、26日で637キロ、1日平均24、5キロ歩きました。

この経過はフェイスブックに逐一アップしました。驚くほど多くの人たちが見てくれていて、声援を送ってくれました。(詳細はFBをご覧ください)

途中棄権はあり得ませんでした。意地というと少し違うが、『昔の人は草鞋で歩いたのに』が常に頭の中にありました。しかも、もっと早く。東海道、2週間で歩いたそうです。(こんなに多くの人達に声援されては、途中棄権を出来るはずはありません)

京都三条大橋に着いた時、特別な感情・感慨は全くなし。不思議です。

今後の人生の生き方全く見えず。これも残念でした。

京都でゆっくりなんて言う感覚は全く浮かばず、修学旅行の中学生で賑わう中、タクシーを止め、一目散で京都駅、新幹線は東京駅までなんと2時間14分、味も素っ気もなし。

秩父に帰り10日間位は温泉、マッサージ等で休養、その後、1週間のシングルハンドヨットクルーズと釣り、こんなにゆったりしたことはなかった。

その後、朝起きて、なにもやらなくて良いことに『なんて良いもんだ』と感じました。釣ってきた魚をさばいたり、孫のピアノ発表会を見に行ったり、ドリカムのミューズパークのコンサートを歩いて下見したり。

しばらくすると、何かにつけ、やたらと腹が立つようになりました。やることがないのには参りました。腰が痛いのに、遠くまでわざわざ歩いたり、皆野の温泉まで歩いたり。

朝起きて、犬の散歩以外にやることがないのは、苦痛でしかなくなりました。

この旅の最中には全く気付かなかったことが、今はっきりと分かって来ました。私には以前のような体力はもうありませんが、『頑張ること、我慢すること』はまだ出来ることが分かりました。一歩でも前に進めば、必ず目的の宿に付くことも改めて体験しました。予定がないこと、目的・目標がないことは苦しい。これがないと、多分、生きて行けないと思うようになりました。

振り返って、どんなにマメが痛くても、どんなにふくらはぎが痛くても、明日は前に進み、遅くても歩き、目的地まで辿り着くという目標がある旅は充実していたと、あの旅、あの、ただただ歩いていた時間が懐かしい、恋しいと思うようになりました。

この旅を経験し、私自身が見えたことが、最高の収穫でありました。

私にはまだやらなければならないことが沢山あるようです。今後は、多少は残っているエネルギーを、手術や診療の代わりに『秩父地域の進行がん撲滅・健康寿命の延長・地域を担う若手医師の確保と教育』のシステム作りに半分くらい、残りは『自然との戯れ』に使いたいと思っています。 (*手術はやります、まだ外科医ですから)

 

次回からは、これからの私の取り組み・システム作りの「独り言」をつぶやきます。

 

 


プロフィール
秩父病院理事長 花輪 峰夫

秩父病院理事長 花輪 峰夫

人と人との触れ合い医療を実践し、患者さんから信頼され、スタッフが気概を持って、地域に貢献できる病院を目指します。

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