初期研修医

2015年2月1日~2月28日

秩父病院での研修を終えて

自分は、1月から2月にかけて2ヶ月間研修させて頂きました。
以前飯能に住んでおり、また、バイト先の友人達が秩父住まいということもあり、秩父にはよく遊びや家族旅行でも来させて頂いていました。 あしがくぼ、羊山公園、ミューズパーク、農園ホテル、夜祭り、秩父滝沢サイクルパークなどによく来ており、研修医の中では、もともと秩父を一番知っていたのではないかと思います。
そして、秩父病院については、先に研修を終えた友人の研修医達(S、U、H)から多くの情報を頂いていました。 皆が、『寒い』という欠点を除いては、中身の濃い良い研修ができる事・スタッフ皆と楽しく出来るという事を何度も教えてくれました。 その為、自分は秩父に出発する際、秩父で仕事ができるとういう期待のワクワクと寒さへの不安で胸がいっぱいでした。
最初に結論から言うと、期待以上の研修と、身に染みる寒さを実感する事が出来ました。 2年間の研修医生活の中で、自分が目指したいと思う医療を一番体験する事が出来た期間だったと思います。 以前、自分達の研修が始まる前に、花輪先生が埼玉医科大学病に来て秩父病院で研修の有意義さを語ってくれました。 その熱意におされて、その時点で自分は秩父病院で2ヶ月間研修する事を決めていました。研修を終えて、2ヶ月間選んで本当に良かったと思います。 スタッフを含め、秩父病院の雰囲気、アフター6、食事等の環境の良いところは先に回った、研修医たちの感想文で自分が伝えたい以上に上手に文章にしてくれているので、同感であることをお伝えし、いくつか個人的なところの感想を書かせて頂きます。

・今まで、自分の将来なりたい医師像を思い浮かべたときに今は亡き父親の姿がありました。
福島医大の消化器外科を出てから、約30年間、一人で茨城の田舎のクリニックでいわゆる昔ながらの医者で、何でも屋としてやっていました。 数年前まで、ときには虫垂炎、胃癌の手術も自ら行っていました。しかし、自分が研修医になってすぐの4月に亡くなったため、自分が医者として話すことはありませんでした。 地域で同じような医療を行っている花輪先生に、外来でも、手術室でも、食堂でも、飲み屋でも色々な言葉をかけて頂き、勝手ですが、年齢も近いという事もあり自分の父親が生きていたら同じような事を言ってくれたのではないかと、一つ一つの言葉をかみしめさせて頂きました。診療を一緒にみせて頂き、目指したい医視像で父親の横にもう一人大きい存在ができました。

・『医療で自分に限界を決めてほしくない!』酔ったO先生が熱く語ってくれた言葉です。
秩父病院での研修では専門医、外科医、内科医云々ではなく、医者としての技術、心の持ち方を教えて頂けたと思います。 実際に手で触れながらの虫垂炎の開腹手術、外来・急での外科処置等この時期に経験できたことは、他の研修医に自慢できる経験だと思っています。 自分は研修後に内科にすすむ予定です。誰にも負けない自分の専門分野を作る事はもちろんですが、秩父病院での経験で、勝手に内科と決めつけて限界を決めず、 外科手技なども医者として個人でも出来る範囲の事はやっていけるようになれる道を模索していきたいとさらに強く思いました。

・2ヶ月間の中で、幸か不幸か1ヶ月目が一人であり、2ヶ月目は同時期の研修医がインフルエンザになったため多くの当直を体験しました。実際に当直をやっているときはきつかったですが、終わってみると、結果的に研修医のなかでもトップクラスの多くの症例を、初見から退院まで経験できたのではないかとうれしく思います。また、普段の外科手術以外に口腔外科の手術にも入らせて頂き、自らの虫歯の治療でも歯科の先生方にもお世話になり、歯磨き指導までして頂き、これも絶対に他では経験できない貴重な経験だったと思います。

・病院周囲でとれたふきのとうおいしかったです。お藩麦も食べてみたかったです。

子供の作文のような表現になってしまいますが、2ヶ月間あっというまで、しっかりやるときはしっかりやり、ダメなときはしっかり怒ってもらい、飲むときはいっぱい飲み、毎日がキラキラしていて、本当に楽しかったです。
自分が研修している間によく花輪先生が、吉田松陰先生の松下村塾の事をなぞらえる事がありました。吉田松陰先生は自分も好きな歴史上の人物です。 学んだ期間は2ヶ月間と短い期間ですが、今後も勝手ですが花輪先生の塾生の一人と言わせて頂けたらと思います。 今までの人生でこのような事をやるのは初めてなのですが、印象を残せる様にせっかくなので自分も吉田松陰先生の言葉をかりて感想の締めにしたいと思います。

『身はたとひ 秩父の野辺にあらずとも 留め置かまし花輪魂』

2ヶ月間本当にありがとうございました。